九高の四季

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  • 2017年03月17日生徒会活動

    【生徒会】ペットボトルキャップ年間回収の最終結果報告!!

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    3月17日(金)

    生徒会が年間通じて取り組んでいる

    『ペットボトルキャップ年間回収の最終結果報告!!』をさせていただきます。

    今年度の目標は200Kgでしたが

    1学期 72Kg

    2学期 75Kg

    3学期 50.5Kg

    トータル197.5Kgとなりました。

    なんとも惜しい!!悔しい結果となりました。

    来年度は年間250Kg回収を目標に頑張ります。

    ご協力いただいた皆さんありがとうございました。

    回収したペットボトルキャップはイオン九州株式会社を通じて寄付されます。

  • 2017年03月16日ブログの噺

    「いきものがかり」

     AI(人工知能)が発達するにつれて、「将来消える恐れがある職業」「未来でも残る仕事」といった話題が、いろいろなところで語られています。様々な業務やサービスがAIによって代替されるならば、多くの職業で業態・業務の変化が予想されるのは当然ですが、いきなり「消滅」「残存」が人の口に上るのは、AIの進化にともなう技術革新の影響と衝撃の大きさをものがたっているのでしょう。

     高校は、生徒の将来の進学や就職につながる進路指導をする教育機関なので、当然、こうしたことについて強い関心を抱いています。せっかく志を抱いて手に入れた職の「存続性・永続性」が疑われるのは、まさに未来を生きる人にとって「死活問題」です。

     このことについて、職員室でもこんな声が聞こえてきました。

     「いろいろな仕事がAIに代替されたら、人間がやるべきことが限られてくるかもしれないなあ」「そうなると、職業選択ってますます難しくなるでしょうね」「高校生のキャリア教育も、視点を変えないといけないかもね」「結局、ヒトがヒトを直接扱う必要のある仕事が残る気がします「その点でいえば、手前味噌になるけれど、学校というのは世の中からなくなりにくいものじゃないかなあ・・・」

     先生たちも、「我が身のこと」が少し心配になったのでしょう。

     「どんなに緻密なプログラミングをしたとしても、学校では、それを超える生徒達の、『想定外』の行動や事態が起こりますからね」「そうだね。いろいろな人間が集団を形成して、そこで生じる『想定外』と取り組む点で、学校は簡単にはなくならないだろうな」「人工知能を超えた生徒の行状を、先生が人工知能でできない技で対処しなければならないわけですからね」

     確かに、学校の先生と生徒の関わり合いは、どんなに人工知能が発達しようとも、それが取って代わりにくい要素が多々あります。いうなれば、この地球という美しい星に生まれた『生き物』と『生き物』が、社会のミニ・シュミレーションの中で、互いに調和した関係を保つための知恵やコミュニケーション能力を鍛え鍛えられる。そんなかけがえのない場所が学校なのです。

     

     あるクラスで担任の先生が、年度最後の授業で生徒達に向かって、こう言うのが聞こえてきました。

     「縁があって1年間この教室でいっしょに過ごしたわけだけど、キミたちもボクも、お互いの『いきものがかり』として、関わり続けたわけだ。このことを、ボクはきっとずっと忘れないと思うよ」

     ちなみにそのクラスは、「だれが生徒か先生か」というめだかの学校のような雰囲気をたたえながら、AIにはできない「臨機応変さ」や「柔軟性」によって、何とか一年間を泳ぎ切ったようでした。

     「メダカみたいに、とてもスイスイというわけではなかったけれどね・・・」

     きっと先生も生徒も、共有した時間について同じような感慨を胸に抱いていることでしょう。

              *   *   *   *   *

     これで今年度の「噺」はラストです。ご愛読に感謝申し上げます。来年度もよろしくお願いいたします。

  • 2017年03月02日ブログの噺

    「ツイッター」

     昨日卒業証書授与式が行われ、500名の卒業生が本校を巣立ちました。まだ寒い体育館がホットな空気で満たされ、感動的な式典となりました。

     卒業式の日に学校新聞が発行され、恒例として紙面には3年生の各クラス担任の先生から卒業生に向けて、心のこもった「贈る言葉」が掲載されています。

    曰く。「謙虚・誠実・感謝を忘れずに」「いい顔・いい言葉・いい心」「心豊かな人生を」「Never give up!」「ありがとうと感謝を伝えよう」「夢と希望を持って」「自己表現を続けよう」…etc

     それぞれのクラス担任の先生の、卒業生に対しての思いが溢れたメッセージばかりです。

     学校新聞の編集の係の先生から聞きました。

     「これだけ丁寧に読み込まれて、もしかしたら記念にずっと保管されるかもしれない新聞ってあまりないだろうなあって思います。ある意味では、『古新聞』になるまでの賞味期限が長い新聞ですね」

     学校新聞は年3回、7月と11月と3月に1学期に1回定期的に発行されますが、当然、学校行事を中心に記事がまとめられるため、毎年ほぼ同じ紙面構成になり、マンネリにならないようにするのが編集上の苦労だそうです。特に3月は「卒業式記念号」なので、掲載することが自ずから決まってきます。

     「斬新で意外なニュースも載せたいんですけどね。やっぱり毎年繰り返される紋切型の大切さもありますしね」

     それはそうでしょう。学校新聞に「宇宙人捕まる!」とか「墜落したUFOの破片発見!!」等、「総合レジャー新聞」のような記事を期待するのは無理なのです。

     「でも、この前ふと思いました。単なる妄想ですけど、ワシントン・ポスト紙やニューヨーク・タイムズ紙みたいに、アメリカ大統領から『九州高校の学校新聞は偽ニュースばかりだ』ってツイッターされたら、とてもエキサイティングだろうなあって・・・」

     係の先生が小さな声でツイートしました。

  • 2017年02月09日ブログの噺

    「ガタガタ」

     生徒からこんな声が聞こえました。

     「先生。机のパイプの接合部分が外れて、ガタガタしています」「どれどれ、見せてごらん・・・」

     机やイスは消耗品です。教室で生徒からこんな申し出があればただちに点検をして、応急処置で済まない状態ならば新しい机と交換されることになります。机の状態が授業に影響してはいけません。学習環境についての訴えに対して、「ガタガタ言うな」と取り合わないようでは、授業が「ガタガタ」になっても仕方がありません。

     「環境は人をつくり、人は環境をつくる」

     いろんな意味で、このことばについて考えさせられる此の頃です。

     「環境問題にあまり興味を持たないトランプ氏のアメリカは、今後いったいどうなるのだろうか・・・」

     机といえば、本校の入学試験の会場準備をしているとき、受験生が使う机の状況を入念に点検していると、ガタガタと天板が揺れる机がありました。

     机の脚に紙をはさんで安定させようとしたら、ある先生が、机の揺れ防止のためのシール付きの丸いフェルトを準備していました。

     「すごいのがあるね」「ヒャッキンで売っていました」「そんなのいつも教室で使っているの?」「当然ですよ。クラスの生徒に勉強に集中させるためですから」

     先生は自費で学習環境の改善に取り組んでいるようです。

     ところが、別の先生からこんな声が聞こえました。

     「でもね、机がガタガタ揺れるのは、教室そのものの床板が歪んでいる場合もあるからね。その時は、環境保全のため校舎を建て替えなければならないかも・・・むろんジヒで」

     思わぬ「天動説」の出現に、机そのものが問題の原因という「地動説」が「ガタガタ」と崩れそうになりました。

  • 2017年01月26日ブログの噺

    「優しさそれぞれ」

     冬の寒波の到来が本格化するこの頃、インフルエンザが流行する季節になりました。あまり根拠のない印象ですが、若い人ほどインフルエンザにかかりやすい気がします。職員室でベテランの先生のこんな会話が聞こえました。

     「生徒だけでなく若い先生の方が、年配者に比べてインフルエンザになりやすい気がするね」「それはそうだよ。僕たちくらいの年齢になれば、今までの人生をとおして、様々なウィルスと共存してきたからね。きっといろいろな抗体が対中にできあがっているんだよ」「そういう意味では百戦錬磨だね」「身体の中をイージス艦がぐるぐると巡視していて、ウィルスの弾道ミサイルが発射されたら、迎撃してくれるみたいなものだろう」。「重要影響事態」というよりも命にかかわる「存立危機事態」に対して「防衛システム」が出来上がっているのかもしれません。

     インフルエンザウィルスも、きっとその「帝国」を拡大するのに、将来性のある若い肉体に期待しているのでしょう。行動範囲と活動のエネルギーに限界がある年代には、あまり感染の魔手を延ばしたがらないようです。

     こんな声も聞こえました。

     「もしかしたらね」「うん?」「インフルエンザにかかっていても、気がついていないのかも」「まさか!」

     そんなある日、ある若手の先生がインフルエンザではないのですがひどい風邪にかかり、ノドを痛めて辛そうな声で言いました。

     「熱はあまりないから何とか授業ができますけど、この声だと、生徒が優しくいたわってくれるんです。日頃はちょっと元気のいいクラスなんですけれど」

     これを聞いて、こんな反応がありました。

     「そうか。生徒が優しくしてくれるのか。そういえば、ボクがぎっくり腰になったときは、優しくしてくれるどころか、おもしろがる生徒もいたけどね」「日頃の接し方の違いじゃない?」「それは言い過ぎ」「生徒によって優しさの示し方はそれぞれだよ。きっと激励の意味で声をかけて、先生に腰の痛みを克服してもらおうとしたのかも」「そうかなあ。どうしても、そうとは思えないなあ」

     ベテランの先生の「折れ過ぎて折れ目が分からなくなった心」には、ストレートな思いやりと優しさだけが必要なようでした。「日照り」が続いたならば、花には水を人には愛を。

  • 2017年01月19日生徒会活動

    【生徒会】JR香椎駅乗車マナーアップ運動

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    18日(水)

    『生徒会』ボランティア愛好会』がタッグを組み

    JR香椎駅乗車マナーアップ運動を行いました。

    香椎駅構内においてティッシュとチラシを配り香椎駅等のマナーアップを呼びかけました。

    前回は生徒会だけで行いましたが、今回はボランティア愛好会の皆さんが手伝ってくれてました。

  • 2017年01月12日ブログの噺

    「虹の向こうに」

     冬休み前のあるクラスの英語の授業で、宿題として綴じたプリントの束が配付された時、生徒たちが口々に言いました。

     「わーっ。休みは2週間しかないのに、夏休みと同じくらいの分量だ!」「これはありえーん」。ざわざわざわ。

     あまりにもの「反響」の大きさに、先生もこう応じました。「いや。これが国の定めた冬休みの宿題の標準の量なんだよ」「どこの国ですか?」「・・・北欧のフィンランドかノルウエーか、それともアイスランドかな?」「冬休みが長そうな国ばかりじゃないですか。ここは日本ですよ」「まあ、グローバル化の時代だから」「今、そのグローバル化の弊害が問題になっていますよ」「だから、グローバリゼーションにともなう『新自由主義』の対策として、自由を制限しているんだよ」「そんな!」

     さらに先生と生徒の「攻防」が続きます。いくら舌戦を交わしても「結論」は変わらないのですが、これも教室で行われるコミュニケーションの一種なのでしょう。

     「それにしても、冬休みの宿題にしたらこれは多過ぎますよ」「いやそうじゃなくて、むしろ夏休みにはいろいろあると思って、あの程度に宿題を減らしただけだよ。つまり、冬休み用が適正な量」「わー。それはウソだあ」。教室がさらにざわざわとしました。

     するとその時、教室の窓から雨上がりの空に美しい虹がかかっているのが見えました。いろいろあった後に、やっと迎えたドラマの最終回のようなシーンです。これに「救い」を見出したように、先生が言いました。

     「見てごらん。美しい虹だ。一生懸命宿題に取り組むと、その努力の結果が将来につながる。まるで君たちの輝かしい前途を祝福するようだね」「先生、ごまかさないで下さいよ。ニジがキレイなことは確かですけど」「ほら、きっとあのレインボーの向こうに夢と希望が待っている。ネガティブな気持ちは捨てて、しっかり前向きに宿題に取り組もうよ」

     強引な話の運びにあきれて静かになった教室で、ぽつりと生徒のこんな声が聞こえてきました。

     「今日のレッスン(教訓)は、一言でいえば、『ものはいいよう』かな・・・」

     生徒の口調には、うまく言いくるめられたくやしさが「ニジ」んでいました。

  • 2016年12月15日ブログの噺

    「ネガティブリスト」

     「先生のクラスの生徒が、昼休み、廊下の掃除用具入れの中に入って遊んでいます」

     ある日、あるクラスの担任の先生にこんな「通報」があり、現場検証に駆け付けると、「引田天功」のような「脱出パフォーマンスごっこ」が行われていることが判明しました。当然、すぐに「再発防止」のために指導が行われましたが、高校生に向かって「掃除道具箱で遊ばない」というのはあまりにも幼稚です。

     「小学生じゃないんだから、こんなことをするなよ」「今時の小学生はこんなことをしません」「・・・それならなおさらだろ?」「そうですか?」・・・不思議な指導になりました。

     一般的に考えると、高校生は「やってはいけないこと」へのチャレンジ精神に富む年頃です。「勇気ある試行錯誤」のプロセスで「常識」を身に付け、やがて大人になるのでしょう。

     「やってはならないこと」を集約したものを「ネガティブリスト」と呼ぶそうです。たとえば旧約聖書の「モーセの十戒」。「〇×するなかれ」の箇条書きです。

     ところが、このリストを裏返してみれば、「やってはならないこと以外はすべてやってもいい」という解釈にもなるようで、そう考えると、まさに高校生は「ネガティブリスト」に挑戦するかのように行動する集団です。

     またある日のこと、あるクラスの生徒が、机上の自分のペンケースがふくれているので、その中を開けてみました。

     「何だ、これ?」

     するとびっくり。ペンケースの中には、何とバナナが入っていました。クラスメートの一人が冗談に入れたようです。

     「誕生日のプレゼント。好物だと思ってね」「・・・・・・」。教室が爆笑に包まれました。

     ところが、数日すると、別のクラスで生徒のカバンの中から、パックの豆腐や袋入りのうどんが発見されました。

     こうした一連の事態に対処していた先生が呟きました。

     「これはあまり冗談がエスカレートしないうちに、ネガティブリストに入れなければならないのかなあ・・・」

     高校生の想像力の及ぶ範囲のことをすべてカバーする遠大な「ネガティブリスト」の作成を思うと、先生は気が遠くなる思いがしました。

     

     年内の「ブログの噺」はこれで終わりです。よいお年をお迎え下さい。

  • 2016年12月07日生徒会活動

    【新生徒会】九高かわらばん第1号が出来ました!

  • 2016年12月01日ブログの噺

    「修学旅行の引率」

     久しぶりに修学旅行の引率をしたベテランの先生が、こんな感想を述べていました。

     「いやあ。ずいぶん昔と修学旅行も変わりましたね。先ず宿泊先にしても、とても高校生の旅行とは思えないくらい豪華なホテルですし。泊まる部屋にしてもツインとか、少人数での宿泊ですから。おまけにベッドがあったりして、大部屋にゴロ寝していた時代とはまったく違います」

     先生の脳裏には昭和の昔、自らの高校時代の修学旅行で泊まった旅館のイメージが浮かんでいるようです。

     「枕投げなんて、もう過去のものなんですね。布団を敷き詰めた畳の部屋じゃないですから。もし枕がいっぱい並んでいても、この頃の生徒は、そんなことしないでしょうか」

     確かに、和室に布団を敷く旅館でなければ、そんな「お楽しみ」もないのでしょう。話は続きます。

     「お風呂にしても、部屋のバスルームで入浴ですから。現代っ子は、『温泉』ですら嫌がるって聞いたことがあります。やはり『個の時代』なんでしょうね」。プライベートな空間の確保というのが現代では最優先され、その風潮が修学旅行にも反映されているのかもしれません。

     最後は食事についてです。

     「食事もビュッフェスタイルでした。食べ放題のバイキングとは違うんだそうですけど、ずいぶんスマートです。食べものをムダにしないという点では、この方が合理的なのかもしれませんが」

     確かに「修学旅行」も、「食・住」のいろいろな点ですっかり様変わりしました。制服で移動する「衣」の点でも、一部の行程で私服が認められたり、ホテルの部屋を出る時にはジャージ姿が禁じられたり、変化が見られるようになりました。

     ちなみに、その先生に修学旅行期間中でもっとも印象に残ったことをたずねてみると、こんな回答がありました。

     「そうですね。・・・アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利したことかなあ」

     修学旅行2日目の宿泊先のテレビで知って、先生は大いに「ショック」を受けたそうです。しかし、聞き手は思わず、「そっち?」と反応してしまいました。

     

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