九高の四季

ブログの噺

  • 2018年07月12日ブログの噺

    「アンパンマンとウルトラマン」

     英語の教科書の題材として「アンパンマン」を取り上げたレッスンがあり、ある先生がその授業をしていると、なぜかウルトラマンに話題が移りました。

    「僕たちが子供の頃のヒーローといえば、やっぱりウルトラマンだったなあ」「そんな昔にウルトラマンはデビューしたんですか」「うん、そうだよ。ところが、今よく考えると不思議なことがたくさんあるんだ」「どういうことですか?」「うーん。番組ではなぜか日本ばかり怪獣が襲うんだよ。毎週ウルトラマンはM78星雲からやって来て怪獣を退治するんだけど、ちょっと地域がかたより過ぎている気がしてね」「特に東京の周辺ばかりに怪獣が来襲するのは、設定としてムリがありますよね」

     クラスの中には、レンタルのDVDで「作品」を鑑賞していて、かなりウルトラマンに詳しい生徒もいます。

    「まあ、スタジオが東京にあるから仕方ないといえばそうだけどね」「でも、いくら怪獣をやっつけるためとはいえ、あれだけ都心で暴れたら大変な被害になりますよね」「そうだねえ。あれは自然災害になるのかなあ?」

     ちょっと考えただけでも、様々な疑問が頭をよぎります。

    「ウルトラマンは地球上に3分間しかいることができないのも不思議だったなあ」「そもそも地球の時間の単位できっちり3分間というのも変ですよねえ」「そういえばそうだね。でもね、アンパンマンだって、空腹の人を救うため、自分の頭を引きちぎって与えるというのも、かなりアクロバティックな感じがするけどね」「ウルトラマンが怪獣相手に暴れて『被害』を与えるのと比べたら、アンパンマンの自己犠牲の精神は素晴らしいじゃないですか。それに、まったく誰にも迷惑かけませんから」「そうだね・・・」

     ディスカッションが深まり過ぎて、3分間以上経過したとき、先生は言いました。

     「そろそろこのディスカッションをやめて、授業に戻ってアンパンマンの話を英語で読もうか」

  • 2018年06月14日ブログの噺

    「リユニオン」

     先週文化祭が行われ、大盛況のうちに終わりました。

     毎年感じることですが、文化祭2日目の一般公開日に体育館で行われる「グランドフィナーレ」には、明らかに学校関係者以外の人の姿が増えている、そんな印象を受けます。

     「どう見ても、生徒のお父さんお母さんやおじいちゃんやおばあちゃんや親戚の人ばかりじゃない気がしますね」

     「生徒の友達というのには、明らかに世代を超えた感じですしね」「うーん。外部の方が増えているとしたら、本校の文化祭が見て楽しむ価値のあるものに年々なってきているということだろうなあ」

     「花見」や「花火大会」のような恒例行事として、九州高校の文化祭の日程を調べて、カレンダーに書き込み、楽しみにしてもらえるようになったら素晴らしいことだと思います。それこそ本物の「見物(みもの)」になった証拠でしょう。

     また、こうした学校行事はある意味「リユニオン(再会)の場でもあります。特に今年の春卒業したばかりの卒業生がたくさん、懐かしい顔を見せに来ます。

     「先生、生きてましたか」

     いきなり卒業生から、聞き慣れたトーンで声をかけられました。これは「お元気でしたか」ということを、少し照れて若者風にアクドク言ったことばでしょう。

     と、好意的に「解釈」しつつ、「相変らずそんな口の利き方をして・・・」と、高校時代の姿や言動に重ねてみたりするのも、長い間に生まれた関係性のなせる業です。

     体育館に佇んでしばらくしたら、以前朝の登校指導をしている際に、日課の散歩をされていて顔見知りになった、年輩の方からあいさつをされました。

     「こんにちは、先生。お元気にされていますか」「ああ、どうも。そちらこそお元気でいらっしゃるようで何よりです」

     若者のエネルギーを強く感じさせる文化的行事に、様々な「リユニオン」のテイストが加わり、さらに心に残る学校行事となりました。

  • 2018年05月31日ブログの噺

    「大人の感想」

     お昼休みに廊下を歩いていると、こんな女子生徒の会話が聞こえてきました。

     「幼稚園に行っていた頃のことかな。お誕生日のプレゼントとして、おばあちゃんからオルゴールを買ってもらうことになってデパートに行ったんだけど、予算に合うのが2つしかなかったのよ」「ふーん、それで?」「その2つから選ぶことになったんだけど、それがなかなか悩ましいのよ。オルゴールの1つは箱にキレイな白雪姫の絵が描かれていて、それはそれでいいんだけど、なぜかメロディーが『かわいいさかなやさん』なの」「すごいミスマッチねえ」「ところが、もう1つのオルゴールがもっとすごいの。3匹の子豚の絵に『エリーザのために』の曲なの」「うーん。それって選ぶのが難しくなかった?」「難しいなんてもんじゃなかったわよ。絵だけで考えると、白雪姫がいいに決まっているけど、音楽がさかなやさんでしょ?せめてエリーゼならよかったんだけど」「そうねえ。・・・子豚の絵とエリーゼもね」「でもね、どちらかを私に買ってあげたいというおばあちゃんの気持ちがひしひしと分かる気がして、断れなくなっちゃって、本当に困ったわ」

     幼い心に突きつけられた、「究極の選択話」に思わず耳が吸い寄せられました。

    「それでどうしたの?」「結局、おばあちゃんから『どちらかにしなさい』って言われて、『どちらもイヤ』ってどうしても言えなくて、やっぱり絵がキレイだからって白雪姫を選んだんだけど、家に帰って箱のふたを開けてオルゴールを聞くと、思わずため息が出たわ」「それって仕方ないわよねえ」「それがね。この前押入れの整理をしていたら、そのオルゴールが出てきたのよ」

     オルゴールは壊れておらず、相変らず「かわいいさかなやさん」の旋律を奏でたそうです。

     「でもね、オルゴールのメロディーを聞いているうちに心が癒される気がして、オルゴールを作った人が、わざとそんなミスマッチをしたんじゃないかっていう気もしてきたわ」「ずいぶん大人の感想ね」「そうかもね」

     

     

  • 2018年05月17日ブログの噺

    「イングリッシュ・ワールド・イン・キュウシュー」

     本校には現在3名のALTの先生がいます。職員室のほぼ真ん中に3名の先生方の机が並び、NYマンハッタンの摩天楼のオフィスのように、そこには「イングリッシュ・ワールド」が展開しています。

     「東京にはディズニーランド。大阪にはUSJ。そしてキュウシューには・・・」

     このような大胆なキャッチコピ―が頭に浮かびました。「学校案内」のパンフレットに採用される見込みは、今のところありません。

     イングリッシュ・ワールドの周辺にはネイティブスピーカーならではの竜巻のような英語が飛び交い、「うっかり」あるいは「故意」に近づくと、「イングリッシュ・トーネイドー」に吹き飛ばされるか巻き込まれる、スリルとアドベンチャーが待っています。

     「バミューダトライアングルみたいだなあ」「行ったことがあるんですか?」「いいえ、想像しただけです」

     英語の先生達はもちろんのこと、英語自慢のチャレンジャーたちが「外国語修行」の成果を求めて、「道場破り」に挑み、いつも見事に「撃破」されています。「完成されたショー」プロレスのように結末が明らかであっても、この刺激が忘れられなくなるリピーターも続出です。時にはALTの先生から、「オゲンキデスカ?」というセンセー攻撃がセンセイを襲うこともあります。

     一方、常に無垢なチャレンジャーである生徒達は、ALTの先生に無心で話しかけています。

     「ハウ・マッチ・・・じゃなくてハウ・アー・ユー、ファインセンキュー」

     こんな風に会話を自己完結させてしまう生徒もいますが、おおむねコミュニケーションは円滑です。

     ALTの先生の授業では英語学習を活性化させるため楽しいゲームがたくさん使われ、生徒もノリノリで楽しんでいます。

     “Let’s play the game!” “That’s a good idea!”

     こんな叫び声が教室に響くとき、「日本もここまで来たのか」という漠然とした感想が浮かびます。「どこまで来たのか」考えるのが、今後の課題です。

     エキサイティングな雰囲気の盛り上がりを見て、「アクティブ・ラーニング」の実践方法に悩むある先生が呟きました。

     「うらやましいなあ。『イングリッシュ・ワールド』にはアクティブでないラーニングなどないなあ・・・」

     

  • 2018年04月26日ブログの噺

    「交流戦とキャリア教育」

     恒例行事となった九州産業高校との野球の交流戦が、今年も春日公園球場で行われました。

     当日の朝、生徒は現地集合・解散なので、集合場所で出席確認するクラス担任以外の先生の多くが、球場に向かう生徒の「安全確認」と「交通整理」のため、交差点などのポイントに立って指導にあたりました。

     指導をしているある先生が、しみじみと言いました。

     「これはキャリア教育として役に立つなあ」「・・・?」

     この行事が生徒の「キャリア教育」にいったいどうつながるのか、傍らにいた先生が不思議に思ってたずねました。

     「どんな意味で、キャリア教育になるんですか」「いいえ。生徒のというよりも、ボク自身のキャリア教育ですけどね」「・・・・・?」「こうして車が来たときに生徒を立ち止まらせて、合図をして車を行かせるのって、道路工事とかで警備会社の人がやっているのと似ていますよね。これってつまり、『実習』になりませんか」「ああ、そういう意味ですか」不思議なやり取りになりました。

     まだまだ話は続きます。

     「それとですね、生徒だけじゃなく一般の通行人の方にもあいさつをするのって、将来もしかしたら、選挙で立候補するときの準備になりませんかね」「ああ、そういう意味ではそれもキャリア教育ですね、先生の」「まあ、そんなことが頭によぎったものですから」不思議な空気が流れました。

     野球の試合が終わって帰り道、駅に向かう生徒達の中で、解散後の混雑を避けるため、駆け足で駅に向かっている3年生の一団がいました。「走っているねえ。キミたちがここに到達した一番乗りだ」「やったあ!」

     生徒達は経験によって学んだスタートダッシュを実行して、「栄冠」を勝ち取ったようです。

     この様子を見て、まだ「キャリア教育」から頭が離れない先生がこう呟きました。

     「これって、若い生徒の将来にとって、どんなキャリア教育になるのかなあ・・・」

  • 2018年04月12日ブログの噺

    「入学式の感想」

      入学式が行われ670名の新入生を迎えました。厳粛な雰囲気の中、ちょっと緊張した新入生の初々しい表情と、新しい制服に身を包んだ凛々しく爽やかな姿が印象的でした。フレッシュな出会いが多く生まれる、この季節をまた迎えることができました。毎朝目が覚めると、それだけでありがたさを感じる年齢のものにとっては、よろこびもひとしおです。

     「素晴らしい入学式だった」「新入生の引き締まった良い表情がたくさん見られましたね」「これからの成長が楽しみです」

     こんな声があちらこちらから聞かれました。きっと高校生となった立派な我が子の姿を見て、ほっとされた保護者の方も多かったことでしょう。

     そしてそのような式そのものとは別に、今年の入学式の日の感想の「最大公約数」はおそらくこれにつきます。

     「寒かった・・・」

     新入生のクラス担任の先生の燃えるような熱い気持ちを鎮めるかのように、やり過ぎ感満載の冷気が猛威を振るう体育館で、座って受付をする先生が数名凍死しそうなくらいの本格的な寒さに襲われました。「人命救助」のために、セントバーナード犬をレンタルすることも検討されたほどです。・・・貸すところはありませんでした。こんなに寒い入学式を迎えると、「地球温暖化」についての疑いが持たれるのも無理はありません。

     卒業式の体育館の寒さは想定内ですが、入学式では珍しく、本能寺の変に遭った織田信長のように「天に裏切られた」気持ちにさえなります。しかし、この感情を誰にぶつけていいか分らず、昭和の青春ドラマでエンディングに行き詰ると多用された、「空のバカヤロー!」という無茶な叫びをマネしてこう叫びました。「寒さのバカヤロー!」「エアコンのない体育館の天井が高い構造の馬鹿!」「1週間前の初夏のような季節の擬態を捨てて冬に戻ろうとする季節のバカ野郎!」・・・叫び声を上げる方がバカでした。

  • 2017年11月16日ブログの噺

    「おすそ分け」

     あるクラスで担任の先生が朝のSHRに行くと、教卓の上に段ボールがのっています。

     「いったいこれは何だ?」

     近くの生徒が質問にこたえました。

     「副担任の〇×先生へのお誕生日のプレゼントです」「これが?」「そうなんです。先生、ご足労をおかけしますが、〇×先生を呼んで来てもらえますか」「うーん。仕方がないなあ」

     というわけで、担任の先生を「使い走り」となって、お誕生日をメデタク迎えた先生が教室に現れました。そして、段ボールの「プレゼント」を開けるとビックリ。中には何と、豆腐・カマボコ・こんにゃく・納豆がぎっしり詰まっていたのです。

     「先生、お誕生日おめでとうございます!」「・・・・・・」「ボクたちのほんの気持ちです」・・・段ボールいっぱいぎっしり詰まった、ものすごい「ほんの気持ち」でした。相撲部屋でちゃんこ鍋を作れそうな材料とボリュームです。

     「ありがとう」

     先生の戸惑いながらも嬉しそうな表情が生徒の爆笑を誘いました。

     先生は段ボールいっぱいのプレゼントを職員室に運びながら、心を悩ませました。

     (さて、この大量の食品をどうするかなあ。動物園の象じゃないしなあ・・・。もっとも、象はあまりこんにゃくや納豆を食べないか)

     このプレゼントには、誕生日の数日前に「首謀者」の一人から「先生、楽しみにしておいて下さい」というほのめかしがあり、先生はただならぬ予感に脅えていたのですが、まさか「支援物資」のような形で大量の食品が贈られるとは考えてもいませんでした。

     しばらくして、職員室のコーナーにある給湯室の前のテーブルにその贈り物を並べられて、こんな張り紙がありました。

     「一人ではとても食べ切れません。どうぞご自由にお持ち帰り下さい」

     「おすそ分け」というのにはあまりにも大量の物資の数々に、冬も間近な給湯室前の空間が、いつもよりもっとホットな雰囲気になりました。

  • 2017年10月19日ブログの噺

    「現役引退」

     ある先生が廊下を歩いていると、去年担任をしていたクラスの生徒から声がかかりました。

     「先生、お元気ですか?今年のクラスはどうですか」「うん。まあ去年と比べれば、ずいぶん大人しいね。パワーでいうと70%くらいかな」「ちょっと落ちついたクラスっていうことですか」「そうだね。キミがいない分ね」「そんな!いくらなんでも、一人で30%分のエネルギーを放出することは無理ですよ」「まあ、それはそうだな」

     その生徒との会話の後しばらくして、先生はこんなことを思いました。

     (現在担任をしている自分のクラスの生徒と比べれば、以前のクラスの生徒って、ずいぶんカジュアルな感じで話ができるもんだなあ・・・)

     確かに去年、あるいは一昨年にクラス担任をしていた生徒に会うと、交わす会話や接する態度に、「ホームルーム時代」と比べると、格段に違う気安さがあります。同じ学校の中で、以前と同様に「生徒」と「先生」という関係にありながらも、ずいぶん気楽な感じがするのはなぜでしょうか。

     もちろん自分の学校の生徒として、真剣に指導し育てるという気持ちがなくなったわけではないのですが、「クラス」という直接の責任がなくなった分、少々「甘やかしたり」「甘えたり」という、ややイージーな人間関係が双方に生まれるのかもしれません。

    「もしかしたら、担任を父母のレベルだとすると、クラス外の生徒には親戚のオジさんのレベルで接しているのかもしれないなあ・・・」

     具体的にいえば、欠席した生徒の指導にしてもそうです。

     「昨日の欠席はどうした?」「まあ、ちょっと事情(わけ)がありまして」「そうか。それはしかたがないなあ・・・」

     「クラス担任」としては「ありえない」ほど、さらりとしたやり取りです。元クラス担任の場合だと、状況によってはこんな風に「融和的」になってしまう恐れもあります。

     「生徒と接する時、『親戚のオジさん』ならばまだいいけど、もし生徒がマゴに見えてきたら、これはちょっとね・・・」

     ふと、先生の脳裏に「現役引退」という言葉がちらっと浮かびました。

  • 2017年09月28日ブログの噺

    「サンドイッチ」

     職員室である先生が、昼食にサンドイッチを食べながら、隣の机の先生に言いました。

     「昨日、先生がサンドイッチを食べているのを見て『おいしそうだなあ。明日、必ずサンドイッチを食べよう』と考えていたんです」「頭に浮かんだ考えを覚えていて、次の日にそれを確実に実行するというのはすごいですねえ」「そうですか。まあ、ちょっとした『自己実現』を果たしただけですけどね」

     さすが進路指導部の先生です。いつも生徒に指導していることを、ごく身近なことで実践したのでしょう。

     「ちょっと身近過ぎる自己実現だけどなあ・・・」その後、先生はこんな「自己反省」も忘れませんでした。

     そういえば、台風が九州に上陸しそうになった時にも、その先生はこうつぶやいて、教育に対する意識の高さを示していました。

     「うーん。週末に九州をかすめるのか。部活の練習試合もあるのに困るなあ。台風にも進路指導をしたいくらいだ」

     その後、その先生が教室に行くと、生徒達が志望大学の選択について会話をしていました。

     「やっぱり大学の志望を決めるって、なかなか難しいよね」「そりゃね、通学範囲とか入試の難易度とか、考える材料となる諸条件があるけど、絞り込むのは簡単じゃないな」「いろいろ検討して、様々な条件をクリアーした上で、『ここらあたりの大学を受けるか』って考えるしかないのかなあ・・・」

     これを聞いて、先生は生徒にアドバイスしました。

     「進路の選択は、もっと主体的な意志で選ばないといけないよ」「でも、それってどうしたらいいんですか」「そうだね。やっぱり自分の将来の夢の実現を中心に考えるべきかな」「でも、夢を実現することって、とても大変ですよね」「それはそうだけど、そこが一番肝心なんだよ。自己実現のため、日々の努力を積み重ねる。たとえば身近な例でいえば、隣の人が食べているサンドイッチがおいしそうだなあと思ったら、明日、必ず食べるぞと決心して、それに向かってひたすら意志を保ち、確実に実行することだよ」「・・・・・・?」「ひとつひとつの小さなことの積み重ねが大切だからね」

     先生の力強いアドバイスの陰に隠れたちょっとした経緯を、生徒はまったく知りませんでした。

  • 2017年09月14日ブログの噺

    「グラウンド」

     久しぶりの噺です。皆様、いかがお過ごしでしたか。

      今年の体育祭は練習の段階から本番まで、まったく天候状態に悩まされることのないものでした。

     「こんなことは、開校以来おそらく初めてのことでしょう」体育祭の開会式の校長挨拶でも触れられました。「半世紀に一度あるかないか」・・・こう言うと、大変歴史の重みが感じられる、貴重な事に思われます。

     我が国は、四季の折々の自然の変化の美しさが満喫できる一方、気候や天候の安定性に欠くという弱みもあり、日本気象協会の「職員レクレーション・ソフトボール大会及びその後のバーベキューパーティー」が雨天で延期になったという「不祥事」が、密かに揉み消されたというウワサのあるお国柄です。

     そんな気象的な「国難」の中、今年度は見事な体育祭日和でした。当日、青空には雲一つない、いえ、白い雲が少しだけしかない、いいや、かなり大きな雲が広がっていたか。・・・つまり、自然とはなかなか相手にするのが難しいものですが、とにかく空にある雲などまったく気にならないくらい、体育祭のための絶好の晴天の一日でした。

     来校される保護者の皆様の数も年々多くなっていることが感じられ、グラウンド正面に張り巡らされたテントの中はもとより、キャンパス内のグラウンドを見下ろすことができる場所にも、ぎっしり人がいっぱいでした。

     昼休み前、職員室に戻ろうとした時、「先生」と呼びかけられて、声の方を向くと、「ご子息」が現在3年生に在籍する、本校卒業生でもある「お父さん」でした。愛嬌のある目元に、高校生の時の面影が残っています。ウワサに聞いていたので、「メモリー」を検索することなく、瞬時に誰か分かりました。

     「よく来てくれたね」「息子が入学して初めてなんですけれど、最後の高校の体育祭を見ようと思ってきました」「ずいぶん学校の様子も変わっただろ」「そうですね。もう卒業してから30年経ちますから」

     30年と聞いて、時間の経過の早さに驚きながら、「天候に悩まされない体育祭」の奇跡的なありがたさ(古文で「めったにないこと」)を思いました。

     「もう30年経ったら、雲の上から見下ろしているかもしれないな」こう言うと、「卒業生のお父さん」が励ましてくれました。

     「大丈夫ですよ。まだ先生はグラウンド(地上)にいますから」

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