九高の四季

九高の四季

2015年1月の記事

  • 2015年01月29日ブログの噺

    「センター試験会場にて」

     センター試験当日、試験会場に指定されたF女子大に行きました。今年から、受験科目の選択によって生徒の受験会場が分かれているので、本校生の受験も4会場に分散しています。

     JRの駅から一度も女子大まで歩いて行ったことがなかったので、他校の女子生徒の集団に付いて行き、無事に到着しました。

     「女子大に入るのは初めてだな・・・」

     正門のところに「不審者は、警察に通報します」と警告の掲示があるのを見つけて、少し緊張しました。自分では、まったくそう思っていないのですが、家庭内では、「近所を、特に小学校の近くを散歩しちゃダメ」と注意を受ける、そんな雰囲気があるらしいのです。

     「別に普通のおじさんと思うけどなあ」「そういう人が、一番怪しまれるのよ」「そうかなあ・・・」。ふつうがふつうに思われない、大変難しい時代のようです。

     念のため、身分証明書を兼ねたネームタッグを身に付けて行きました。いざという場合、警備の人に見せて「正真正銘の高校関係者」であることを証明したかったのです。しかし、「けっ、手の込んだことをしやがって」と、かえって怪しまれる気がしたので、ネームをコートの下にそっと隠しました。

     しばらくすると、顔見知りの生徒が三々五々やって来ました。女子大なので、もちろん女子生徒ばかりです。

     「先生。何でここにいるんですか?」「まあ、引率というかね・・・」「先生。冗談ですよ」「冗談が言えるくらいなら大丈夫だね」「まあ、そうですね」

     心細さそうな表情の、別の生徒から言われました。

     「握手して、ハンドパワーを下さい」。「不審者」に、ハンドシェイクを望む女子高生もいるのです。

     「体調はどう?」「風邪をひいて喉をやられました」「歌声のオーデションなら心配だけど、頭脳のオーデションだからね」

    「点数の勝負ですからね」「今は、自分の点数ばかり気になるよね」「・・・・・・?」「うーん。『セルフセンター』試験だから」「・・・・・・」

     黙殺された言葉が地面に転がって、そのまま放置されているのが見える気がしました。

     戦国武将の陣地のように、高校名の入ったノボリを立てている学校もあります。観察していると、受験生一人ひとりに「キットカット」や「ハッピーターン」を配っている先生がいました。

     「うーん。モノではなく、オーソドックスにココロで応援するか。とにかくガンバレ・・・」

     モゴモゴと言いながら、試験場に向う生徒の後姿が小さくなるまで目で追いかけました。

     その背中がいつまでも大きく見えたので、「きっと大丈夫だろう」と思いました。

     

    ※来週(木)は入学試験前日の準備のため、「ブログの噺」はお休みです。

     

  • 2015年01月22日ブログの噺

    「マナーって難しい」

     学校というのは「社会の縮図」であり、世間に出て行く前の準備として、様々な経験を生徒に積む機会を与えます。

     電話での欠席届に対して、「何?体がだるい?少しくらい体調が悪くても、とりあえず学校に来なさい」と、こんな出席にかかわる教育的指導をするのも、将来のどうしても休めない仕事や用件の練習と思えば、あながち無理なこととは言えません。「いざとなれば休める高校生って、いうなれば『アマチュア』だったんだなあ」と、懐かしく思い出す日もあることでしょう。

     高校という教育機関では、「社会人のマナー」を身に付けさせることも、大切な機能・役割の一つです。

     そんな中に、たとえば、職員室への「入室のマナー」があります。

     本校では、職員室がオープンスペースになっているので、出入り口から入室した後、先生の机が並ぶエリアの前にカウンターがあり、そこで生徒は立ち止まって、大きくはっきりと先生に声をかけることになっています。その際、ドアが目の前にないので、生徒はカウンターの側面を「コンコン」とノックするのも、本校独特の風習かもしれません。

     「○年×組の△○です。○×先生に用事があってまいりました。失礼します」

     それぞれのホームルームで指導を受け、決められた「フォーマット」にのっとり入室します。

     ところが、入室の流儀はある程度パターン化しているとはいえ、時には、やや応用が必要な場合もあります。

     「お仕事中すみません」

     忙しそうな先生には、こんな言葉で注意を喚起することが必要です。先生があまり忙しくなさそうな場合でも、このように話しかけて、マイナスになることはないでしょう。将来、会社の机で新聞を読んでいる、暇そうな上司に話しかける予行練習にもなるかもしれません。

     ところが、これに類したことで、先日、ちょっと考えさせられるケースがありました。

     お昼休みの職員室でのことです。用件のために訪れた生徒が、イスに座りながら、昼食後でうとうとしていたある先生に大きく明瞭な声で話しかけたのです。

     「失礼します。ご睡眠中すみません」(!)

     昼休みで生徒の出入りが多くザワザワしていた職員室が一瞬静かになり、漬物石を古池に投げ込んだような、同心円に広がる笑いで包まれました。

     「そうはっきり言うなよ・・・」

     先生も眠気をさまされて、照れながら苦笑いしています。

     この生徒は、「大きな声ではっきりと話しかける」ということではマナーにかなっていましたが、「状況における心遣い」という点では、少々配慮の余地があるようでした。

     ふと、思いました。

     「『お食事中すみません』ならいいけれど、『インスタントのコーンスープを飲みながら、愛妻弁当を食べていらっしゃるところをすみません』は、具体的過ぎるか・・・」

  • 2015年01月15日ブログの噺

    「テレフォン・ショック」

     「君はいったい何を考えているのか。人の話をちゃんと聞かなくちゃだめじゃないか!」

     こんな厳しい指導の言葉のトーンが急に弱まって、先ほどまで電話の向こうの生徒を叱っていたはずの先生が、一転して受話器を手に、頭を下げて謝っています。・・・深々とした謝罪の姿は、テレビ電話かと思うくらいでした。

     「すみません。お父さんと息子さんの声があまりにも似ていたものですから・・・。本当に申し訳ございませんでした」

     どうやら生徒と保護者の声を聞き間違えて、じっくりと「教育的指導」をしてしまったようです。

     電話が終わって、先生がぼやいています。

     「やれやれ。お父さんも、『生徒本人ではありません』と早く言ってくれればいいのになあ。あまりにも素直に『はい、はい』って返事をされるものだから・・・」

     親子や兄弟・姉妹というのは、容姿以上に仕草や声が似ている場合があります。

     ぼやく声が続きます。「まるでハイファイセットみたいだったなあ・・・」

     今では通じなくなった、懐かしい言葉を使った比喩でした。その昔、再生音が高度に原音に忠実なオーディオ機器を表す“High Fidelity(高度な忠実さ)”という語を縮めて、「ハイファイ」機器と呼んでいました。つまり「声が瓜二つ」ということです・・・これもおかしいか。

     こんな「間違い電話」の光景を目の当りにして、生徒と会話をしました。

     「今はスマホの時代だから直通は当たり前かもしれないけど、僕たちが高校生の頃は、電話が一家に一台だったから、女の子の家に電話するのは、大変勇気が必要なことだったよ」「そうでしょうね。家族経由ですからね」「親が電話を取ることが多かったしね」「めんどうですよね」。固定電話しかない当時、電話でのトークは家族の監視付きが当たり前でした。

     「そういえばある時、言葉を覚えたばかりでしゃべりたくて仕方がない幼児の弟が電話に出て、なかなかお姉ちゃんと電話をかわってくれない時があったな」「小さな子供って、やたらとしゃべりたがる時期がありますよね」「うん。公衆電話で10円玉で電話をかけているから、こちらは、いつ切れるかハラハラしているのに、『お兄ちゃんバナナ好き?』とか聞かれてね」。「果物」だけに、胸に少し甘い思い出がよみがえって来ました。

     「ちょっと話が弾んで電話が長くなったら、『電話長いよ』なんて、お父さんの不機嫌そうな声が、受話器の向こうから聞こえたりしたこともあるよ」。墓穴から立ち上がるゾンビのように、長い時を経た、苦い思い出も復活してきました。

     電話会社は、NTTの前身である「電電公社」だけしかない、昭和のことです。夜9時以降には「夜分すみません」などと謝って、夜間に電話をかけることが、緊急連絡以外ではタブーだと考えられていた時代でした。

     「今は、いくら長く話しをしてもまったく気にしませんよね」「うん。そういえば、『長電話』っていう言葉は、いつのまにか死語というか、過去のものだなあ」

     後ほど思いました。「そういえば、長スマホなんて言わないな。ところで、今の子供は、『糸スマホ』で遊ぶのかな・・・」

     

  • 2015年01月08日ブログの噺

    「ペットボトル」

     新年あけましておめでとうございます。唐突ですが、今年も残すところ360日を切りました。思えば本年も、いろいろなことがありました。楽しかったこと、辛かったこと。嬉しかったこと、悲しかったこと。後に振り返ればとても貴重に思える、人生の日々を飾った、このたくさんの思い出を胸に、2015年の残りの日々を大切に過ごしましょう。・・・と、「社会復帰」に際して、自分を奮い立たせるために、こんな無茶な書き出しにしてみました。

      年末の保護者会のある日、正門のところで「駐車係」をしていました。本校では、保護者会期間中、学内への車両の乗り入れを遠慮して頂いています。駐車係とは、事情に応じて認められた許可車のチェックをする、いわゆる「関所」のような役目です。

      暴風が吹き荒れる酷寒の一日でした。

     「強い風が吹き付けると、心臓麻痺を起こしそうになるなあ」「本当ですね」「冷凍食品の気持ちが、よーく、分かるくらい寒いなあ」「そうですね」「でもね、冷食は、突然、冷凍庫から出されて、電子レンジで加熱されるからたまらないだろうなあ」。何気なく発した言葉の意味さえ、「寒さ」を通り過ぎてカチカチに「凍りついて」います。

     係は2人1組で行い、30分交替なのですが、一般相対性理論を裏切るかのように、時間が長く感じられます。

     「アインシュタインは、駐車係をしたことないだろうなあ・・・」

     吹きさらしの風の先端がさらに鋭角的に尖って、防寒具の繊維のすき間に突き刺さるようです。

     「そういえば、ウィンドブレーカーって、昔、窓を壊すものだと思っていたよ」「『ウィンドウ』ですか?」「・・・あまり面白くないよね」「そうですね」「ウィドウならば、夫に先立たれた女性」「・・・・・・」。何かしゃべっていないと、寒さのせいで誤って舌を噛み切る恐れを回避するためだけの、ムダ口が重ねられています。

     すると、保護者会を終えた許可車が、校外に出るためにこちらにやって来るのが見えました。

     車両通過のため、ダイヤモンドゲームのコマの親方のような、円錐のプラスティックの目印を移動させると、目の前で車が止まり、パワーウィンドーが開きました。

     「お疲れ様です」とお母さん。「おつかれさまでひた」。口がかじかんで(?)、ちゃんと発音ができません。

     「大変ですね。寒いでしょ・・・」。優しい声とともに、中から手が差し出されるのが見えました。すると、何ということでしょう。「これを飲んで下さい」と、ペットボトルの温かい飲み物が手渡されたのです。

     「ありがとうございます」「ありがとうございまふ」。肝心の時に、また、言葉をファンブルしました。

     石川啄木の歌のように、凍えた手をじっと見つめると、保護者の方の思いやりが、「午後の紅茶 あたたかいストレートティー」と「おーいお茶」というラベルを身にまとって、掌の中にありました。思わずぎゅっとボトルを握り締めると、そのぬくもりが心身の末端にまで伝わり、感謝の気持ちがじわじわと脳みそから溢れ出てくるのが分かります。

     「せめてお名前を・・・」「別に、名のるほどのものではありません」。お母さんの車は、そのまま去っていきました。・・・と、これは、後ほど頭の中で作った脚色でした。

     こんな年末のホットな思い出を噛み締めていると、年初の弱気がすっかり消えました。折れ過ぎて折れ目が分からなくなり、一見遠目には折れていないように見える心が再生され、希望が胸にコンコンと涌いてくる気がして、思わずつぶやきました。

     「今年も、まだ350日以上残っているぞ」

     

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