九高の四季

九高の四季

2015年10月の記事

  • 2015年10月29日ブログの噺

    「ちゃくがんてん」

     「先生、本当ですか?」

     秋も深まったある日のことです。駆け寄る生徒のいきなりの問いかけに「何のこと?」と、ある先生が聞き返しました。

     ムリもありません。こんな唐突で性急な質問に答えるのは、いきなり投げつけられたアンダースローの左ピッチャーのスライダーを打ち返すようなものでしょう。

     「どうしたの?」「僕たちの間でウワサになっているんですけど、創立者の先生の像の目が防犯カメラになっているって、本当ですか?」「・・・・・・!」

     生徒の質問についての予想は外れました。進路のこととか、勉強とはまったく関係のない「質問」です。誰が言い出したか分かりませんが、生徒の間で学校にまつわる、こんな「都市伝説」が流布しているようでした。

     正門を通り抜けて数10メートルの、2階にある職員室からちょうど見下ろした場所に、「創立30周年」を記念して学園創立者記念像が建立され、早20年が経ちます。

     「そんなシステムが導入されているっていう話は聞いたことがないなあ。第一、そんな必要はないだろ?」「そうですか。真面目な顔で言い張るやつがいたんですよ」「よくそんなことを思いつくなあ・・・」

     学校現場にいると、高校生の柔軟でユニークな発想には、驚かされることが多いものです。

     「観察力には感心するけれど、まあ、現実的に考えても、そんなことはないだろうね」「やっぱりそうですよね。・・・ある意味では、がっかりだなあ」「そうだね。創立者像の目にカメラとは、『着眼点』はとてもよかったけどね」「うーん。先生もうまいこと言いますね」

     後ほど、職員室でこのことが話題になりました。

     「学園創立者記念像っていえば、数年前、塗装をやり直したり、維持管理のための手入れがされていましたね」「その時、『防犯カメラ』が設置されたという、伝説のモトが生まれたのかなあ」「この頃、セキュリティー強化のため、あちらこちらにカメラが増えているからじゃないですか」

     そういえば、テレビのニュースでも、防犯カメラの映像が流れることも増えています。マンションのエントランスや個人の家のインターフォンにカメラが設置されていることも多くなりました。

     「確かに、銀行のATMの防犯カメラに映った『目出し帽をかぶった容疑者の姿』とかが公表されたりするね」「うーん。犯罪防止だけでなく、安保法制の議論が高まるご時勢だから、『防衛システム』として、そのうち記念像の周辺に早期警戒レーダーが配備されているっていうウワサが生まれるかもしれませんね」「まさか!」

     確かに、若者の柔軟なアイディアと、それを伝える口に戸を立てることはできないでしょう。

     「それにしても、創立者像の目が防犯カメラになっているというのは、すごい発想だなあ」「フレッシュな感性を持っている生徒は、やっぱり『目のつけどころ』が違いますね・・・」

     結局このように、大人は同じようなオチを思いつくのです。

  • 2015年10月22日ブログの噺

    「ガンバレ!学年主任!!」

      一学期の成績をもとに選ばれた、家庭学習不足が大いに懸念される生徒を対象に、学年主任の先生が、中間考査まで毎日、彼らの家庭学習のノートを点検指導することになりました。

     事前の学年会議で、このことについて、先生から提案がありました。

     「というわけで僕が、家庭学習不足の約40名の生徒全員に毎日ノートを提出させ、点検してコメントを書きたいと思います。何かご意見はありませんか?」「賛成です。とてもいいことだと思います」「大賛成です。そうした個別指導はとても大切ですよね」「さすが学年主任。すばらしいアイディアだと感服しました」

     次から次に、学年の先生たちのあまりにも大きな賛同を得て、学年主任の先生は少々不安を覚え、たじろいで言いました。

     「どなたか、僕一人にやらせては大変だから、考え直したほうがいいという方はいませんか?」「・・・・・・」

     議事堂前で、「憲法違反!廃案!」を求めるデモが起こることもなく、「法案」はあっさり可決され、さっそく発効されることになりました。ついに学年主任と「家庭学習不足を何とかし隊」の隊員たちの日々の交流が始まったのです。

     先生が実際にやってみると、「隊員たち」に家庭学習のノートを毎日提出させるというのは、本当に大変な作業でした。彼らのほとんどは、そもそも「自らのライフスタイルとして、家庭学習に余暇を奪われることを潔いとしない」という主張の持ち主―平たく言えば、「家であまり勉強しない方針の生徒」が多く、家庭学習させるだけでなく、きちんと「毎日ノートを提出する」という習慣づけも骨の折れることでした。

     ある日、学年主任は、クラス担任に、未提出の生徒を呼び出す依頼をしました。

     「○×君にお昼休みに来るように言って下さい。・・・先生は怒っていると申し添えて」

     温厚な先生にしては珍しく本気で怒っているようで、その語気に、メッセンジャーの担任の先生もビビるくらいでした。

     朝提出された約40冊のノートに、放課後までに励ましのコメントを書くことも大変です。ドライクリーニング並みに、「朝9時までに出せばその日の夕方に」仕上げることは、多忙な先生にとって時には至難のわざだったでしょう。

     それから、1ヶ月。学年主任の先生は宣言しました。

     「もうすぐ中間考査です。一応、ノートの提出指導は考査までで終了したいと思います」「まあ、そうおっしゃらずに、生徒と熱いコミュニケーションを続けて下さい」「・・・・・・」。静かに「要望」は却下されたようです。

     中間考査が終了したある日、先生のモノローグが聞こえて来ました。

     「やれやれ、これでやっと終ったか。少しでもこの指導が、考査の成績に反映されるといいけどなあ・・・」

    この言葉を耳にした担任の先生の一人が、名残惜しそうに言いました。

     「本当にご苦労様でした。・・・次の考査も、是非お願いできませんか?」

     これに対して、いつも爽やかな学年主任から、さわやかな「はい」という返事がありませんでした。先生には、「学年指導」について、きっともっと素晴らしい考えがあるに違いありません。

     「継続は力なり」という言葉を胸に、とりあえず心から感謝を捧げたいと思います。

    「これからもガンバって下さい!学年主任!!」

     

     

  • 2015年10月15日ブログの噺

    「2つの体育祭」

     毎年秋が深まって、すなわち本校でそろそろ体育祭の余韻が消える頃、隣のK工業高校で体育祭があります。

     両校は正門が並んでいるという、世にも珍しい「隣接状態」にあり、これには2つの高校の創立の時点での「歴史的経緯」が関係しています。

     K工業高校の体育祭は土曜日に実施されるので、本番は問題ないのですが、大いに「影響」を受けるのは、その1週間前の授業です。特に午後からは、本格的な競技が真剣に行われるので、「招かれたわけでもない観客たち」もつい興奮します。

     「ほら、隣の体育祭練習をぼんやり見ていないで、授業に集中しろよ」「うーん。そう言われてもですねえ・・・」

     注意を受けた生徒は、不満そうな表情です。

     確かに、つい窓の外の練習風景に目が行っても、「それもムリもないなあ」と思ってしまう「臨場感」です。特に南側の校舎は、グラウンドに面している特等席で、K工業高校の保護者対象にチケット販売をしたくなるくらいです

     「見物には絶好の場所だけどね」「そうでしょ?」「まるでエキサイティングシートだからなあ」

     とりわけ、リレーなどの白熱伯仲の競技が始まると、先生でさえ思わず目をひかれてしまいます。

     「ほらほら、見とれてないで授業にしっかり集中集中!」

     生徒だけでなく自分自身にも言い聞かせながら、負けそうになる意志力を「環境整備」で補います。音を遮断するために、本来なら必要のないエアコンを稼動させ、その上、カーテンを閉めて授業をするのです。

     一方、隣の高校にしても負けてはいません。実況中継のアナウンスの放送や音楽を流し、本番さながらのやり方で、実に楽しそうに魅力的な練習を展開します。・・・別に私たちを意識しているわけではないでしょう。

     「先生。あれを見るなっていうのはムリですよ」「まあ、人情としては分からないこともないけどねえ」

     つい情にほだされて、「じゃあ、みんなで練習を見学するか?」と間違って口にしようものならば、それこそ体育祭が終るまで、「特等席」で観戦を続けなければならないかもしれません。

     さらに生徒の中には、こんな意見を言う生徒もいました。

     「僕はK工業高校に友達がいるんです。隣にある高校の生徒が、まったく関心を持てない程度の体育祭だと思わせたら、相手に失礼じゃないですか」

     もっともらしいセリフですが、それでも負けずに授業をシュクシュクと進めるしかありません。

     少々あきらめ気味にこう思いました。

     「授業が平穏を取り戻すためには、隣の学校のイベントが終わるのを待つしかないのかなあ・・・」

     そうしているうちに、先週の土曜日体育祭が行われ、その盛況ぶりは「特等席」からよく確認できました。

     ところが、体育祭が終った次の週、いつもに戻った教室で授業をしていると、なんとなくもの足りないような寂しい気持ちになり、思わずつぶやきました。

     「ああ、今年も2つの学校の体育祭がついに終ってしまったのか・・・」

  • 2015年10月01日ブログの噺

    「一年一年」

     月曜日の朝、教室で、生徒のこんな声が聞こえてきました。

     「練習試合どうだった?」「途中から出場したけれど、なかなか厳しかったよ」「まだまだ実戦に慣れてないからねえ」「うーん。試合に出ているうちに、だんだんゲームの感覚が身につくと思うんだけど」

     3年生の「引退」にともない、それぞれの部活動において、1・2年生を中心とする新体制・新チームに切り替わっています。そんな下級生たちは、まだまだ「新人」として戸惑っているかもしれませんが、やがてチームの顔として、実力を発揮できる日が間もなく来るでしょう。

     職員室で、そんな「ルーキー選手」について、部活動の顧問の先生たちの会話が聞こえてきました。

     「新チームになると、レギュラーを目指すという自覚が増して、競争意識が強くなるにつれて、部員たちの実力が上がっていきますよね」「見違えるように、進化を遂げる選手がいるね」「本当に、以前と見違えるくらい上手くなる生徒がいます」

     学年が上がるにつれて「心・技・体」がいっそう充実し、確実に成果につながっていくのでしょう。

     「高校生活は3年間だけど、実際に部活に取り組む期間は限られているから、ぼんやりしたいたらあっという間に終わるからね」「そういう意味では、高校生でもアスリートとして、本当に一年一年勝負していますね」

     部活動はある意味で、現実の社会の厳しさを知る実体験をともなっています。

     「スポーツは、結果がはっきりするところが厳しくて面白いところだからね」「そうですね。たとえばプロ野球の選手なんかは、一年一年の実績で契約更改するわけですから」「もちろん複数年契約って場合もあるけれど、本当に実力がある選手は、一年ごとの契約更改を望むからね」「そうですね。大リーグに挑戦する可能性もあるし。それこそが実力の証しですね、きっと」「やっぱり、一年一年に賭ける意気込みが大事なんだなあ」

     その時、ちょっと離れた席で、そのコメントを「傍受」していたベテランの先生がポツリと言いました。

     「それならば、先生たちも実力があるから、一年ごとに『契約更改』してもらうように、校長先生にお願いしようか」

     その瞬間、微妙に空気の温度が変わった気がしましたが、秋の気候の変化のせいだけではないようでした。

     

     ※来週は中間考査期間中のため、「噺」はお休みです。

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