九高の四季

九高の四季

2015年の記事

  • 2015年10月22日ブログの噺

    「ガンバレ!学年主任!!」

      一学期の成績をもとに選ばれた、家庭学習不足が大いに懸念される生徒を対象に、学年主任の先生が、中間考査まで毎日、彼らの家庭学習のノートを点検指導することになりました。

     事前の学年会議で、このことについて、先生から提案がありました。

     「というわけで僕が、家庭学習不足の約40名の生徒全員に毎日ノートを提出させ、点検してコメントを書きたいと思います。何かご意見はありませんか?」「賛成です。とてもいいことだと思います」「大賛成です。そうした個別指導はとても大切ですよね」「さすが学年主任。すばらしいアイディアだと感服しました」

     次から次に、学年の先生たちのあまりにも大きな賛同を得て、学年主任の先生は少々不安を覚え、たじろいで言いました。

     「どなたか、僕一人にやらせては大変だから、考え直したほうがいいという方はいませんか?」「・・・・・・」

     議事堂前で、「憲法違反!廃案!」を求めるデモが起こることもなく、「法案」はあっさり可決され、さっそく発効されることになりました。ついに学年主任と「家庭学習不足を何とかし隊」の隊員たちの日々の交流が始まったのです。

     先生が実際にやってみると、「隊員たち」に家庭学習のノートを毎日提出させるというのは、本当に大変な作業でした。彼らのほとんどは、そもそも「自らのライフスタイルとして、家庭学習に余暇を奪われることを潔いとしない」という主張の持ち主―平たく言えば、「家であまり勉強しない方針の生徒」が多く、家庭学習させるだけでなく、きちんと「毎日ノートを提出する」という習慣づけも骨の折れることでした。

     ある日、学年主任は、クラス担任に、未提出の生徒を呼び出す依頼をしました。

     「○×君にお昼休みに来るように言って下さい。・・・先生は怒っていると申し添えて」

     温厚な先生にしては珍しく本気で怒っているようで、その語気に、メッセンジャーの担任の先生もビビるくらいでした。

     朝提出された約40冊のノートに、放課後までに励ましのコメントを書くことも大変です。ドライクリーニング並みに、「朝9時までに出せばその日の夕方に」仕上げることは、多忙な先生にとって時には至難のわざだったでしょう。

     それから、1ヶ月。学年主任の先生は宣言しました。

     「もうすぐ中間考査です。一応、ノートの提出指導は考査までで終了したいと思います」「まあ、そうおっしゃらずに、生徒と熱いコミュニケーションを続けて下さい」「・・・・・・」。静かに「要望」は却下されたようです。

     中間考査が終了したある日、先生のモノローグが聞こえて来ました。

     「やれやれ、これでやっと終ったか。少しでもこの指導が、考査の成績に反映されるといいけどなあ・・・」

    この言葉を耳にした担任の先生の一人が、名残惜しそうに言いました。

     「本当にご苦労様でした。・・・次の考査も、是非お願いできませんか?」

     これに対して、いつも爽やかな学年主任から、さわやかな「はい」という返事がありませんでした。先生には、「学年指導」について、きっともっと素晴らしい考えがあるに違いありません。

     「継続は力なり」という言葉を胸に、とりあえず心から感謝を捧げたいと思います。

    「これからもガンバって下さい!学年主任!!」

     

     

  • 2015年10月15日ブログの噺

    「2つの体育祭」

     毎年秋が深まって、すなわち本校でそろそろ体育祭の余韻が消える頃、隣のK工業高校で体育祭があります。

     両校は正門が並んでいるという、世にも珍しい「隣接状態」にあり、これには2つの高校の創立の時点での「歴史的経緯」が関係しています。

     K工業高校の体育祭は土曜日に実施されるので、本番は問題ないのですが、大いに「影響」を受けるのは、その1週間前の授業です。特に午後からは、本格的な競技が真剣に行われるので、「招かれたわけでもない観客たち」もつい興奮します。

     「ほら、隣の体育祭練習をぼんやり見ていないで、授業に集中しろよ」「うーん。そう言われてもですねえ・・・」

     注意を受けた生徒は、不満そうな表情です。

     確かに、つい窓の外の練習風景に目が行っても、「それもムリもないなあ」と思ってしまう「臨場感」です。特に南側の校舎は、グラウンドに面している特等席で、K工業高校の保護者対象にチケット販売をしたくなるくらいです

     「見物には絶好の場所だけどね」「そうでしょ?」「まるでエキサイティングシートだからなあ」

     とりわけ、リレーなどの白熱伯仲の競技が始まると、先生でさえ思わず目をひかれてしまいます。

     「ほらほら、見とれてないで授業にしっかり集中集中!」

     生徒だけでなく自分自身にも言い聞かせながら、負けそうになる意志力を「環境整備」で補います。音を遮断するために、本来なら必要のないエアコンを稼動させ、その上、カーテンを閉めて授業をするのです。

     一方、隣の高校にしても負けてはいません。実況中継のアナウンスの放送や音楽を流し、本番さながらのやり方で、実に楽しそうに魅力的な練習を展開します。・・・別に私たちを意識しているわけではないでしょう。

     「先生。あれを見るなっていうのはムリですよ」「まあ、人情としては分からないこともないけどねえ」

     つい情にほだされて、「じゃあ、みんなで練習を見学するか?」と間違って口にしようものならば、それこそ体育祭が終るまで、「特等席」で観戦を続けなければならないかもしれません。

     さらに生徒の中には、こんな意見を言う生徒もいました。

     「僕はK工業高校に友達がいるんです。隣にある高校の生徒が、まったく関心を持てない程度の体育祭だと思わせたら、相手に失礼じゃないですか」

     もっともらしいセリフですが、それでも負けずに授業をシュクシュクと進めるしかありません。

     少々あきらめ気味にこう思いました。

     「授業が平穏を取り戻すためには、隣の学校のイベントが終わるのを待つしかないのかなあ・・・」

     そうしているうちに、先週の土曜日体育祭が行われ、その盛況ぶりは「特等席」からよく確認できました。

     ところが、体育祭が終った次の週、いつもに戻った教室で授業をしていると、なんとなくもの足りないような寂しい気持ちになり、思わずつぶやきました。

     「ああ、今年も2つの学校の体育祭がついに終ってしまったのか・・・」

  • 2015年10月01日ブログの噺

    「一年一年」

     月曜日の朝、教室で、生徒のこんな声が聞こえてきました。

     「練習試合どうだった?」「途中から出場したけれど、なかなか厳しかったよ」「まだまだ実戦に慣れてないからねえ」「うーん。試合に出ているうちに、だんだんゲームの感覚が身につくと思うんだけど」

     3年生の「引退」にともない、それぞれの部活動において、1・2年生を中心とする新体制・新チームに切り替わっています。そんな下級生たちは、まだまだ「新人」として戸惑っているかもしれませんが、やがてチームの顔として、実力を発揮できる日が間もなく来るでしょう。

     職員室で、そんな「ルーキー選手」について、部活動の顧問の先生たちの会話が聞こえてきました。

     「新チームになると、レギュラーを目指すという自覚が増して、競争意識が強くなるにつれて、部員たちの実力が上がっていきますよね」「見違えるように、進化を遂げる選手がいるね」「本当に、以前と見違えるくらい上手くなる生徒がいます」

     学年が上がるにつれて「心・技・体」がいっそう充実し、確実に成果につながっていくのでしょう。

     「高校生活は3年間だけど、実際に部活に取り組む期間は限られているから、ぼんやりしたいたらあっという間に終わるからね」「そういう意味では、高校生でもアスリートとして、本当に一年一年勝負していますね」

     部活動はある意味で、現実の社会の厳しさを知る実体験をともなっています。

     「スポーツは、結果がはっきりするところが厳しくて面白いところだからね」「そうですね。たとえばプロ野球の選手なんかは、一年一年の実績で契約更改するわけですから」「もちろん複数年契約って場合もあるけれど、本当に実力がある選手は、一年ごとの契約更改を望むからね」「そうですね。大リーグに挑戦する可能性もあるし。それこそが実力の証しですね、きっと」「やっぱり、一年一年に賭ける意気込みが大事なんだなあ」

     その時、ちょっと離れた席で、そのコメントを「傍受」していたベテランの先生がポツリと言いました。

     「それならば、先生たちも実力があるから、一年ごとに『契約更改』してもらうように、校長先生にお願いしようか」

     その瞬間、微妙に空気の温度が変わった気がしましたが、秋の気候の変化のせいだけではないようでした。

     

     ※来週は中間考査期間中のため、「噺」はお休みです。

  • 2015年09月24日ブログの噺

    「丸いコミュニケーション」

     放課後、顔見知りの男子生徒が2人、飲み物の自販機のそばのベンチに座っているのを見つけて、ある先生が話しかけました。

     「やあ、くつろいでいるね」「まあ、部活の練習が始まるまで、ゆっくりしているんです」「遅くまで練習があるからね」「授業をたくさん受けて、それからずっと部活ですから」

     本校では通常、45分の7時間授業が行われています。彼らが授業中に時々、「しっかり休んでいる」ように見えるのは、きっと「誤解」なのでしょう。

     「好きで入った部活なのに、思いがけず練習が短くなったりすると、思わず『やったあ!』って思いますね」「そうだねえ。いくら好きでやっていても、毎日やっているとそんな気持ちになるのはムリないな」「夏の暑い日には、部活より授業のほうがずっといいと思うこともありますよ」「うーん。そうだろうねえ」

     そういえば、いくら勤勉なアリでも、真夏の日中に肉体労働に従事する姿は辛そうです。・・・庭で30分ほど、じっくり観察しているだけで、熱射病になりかけたことがあります。

     それからしばらく「好き・嫌い」をめぐり、生徒とあまり結論のないコミュニケーションをはかり、そろそろ先生が切り上げようとしたら、生徒の一人から、こんな質問がありました。

     「ところで先生。唐突ですが、僕達のうちのどちらが好きですか?」

     本当に「とうとつ」な質問です。先生は、2人の生徒の顔を見くらべて言いました。

     「どちらといってもねえ・・・」「はっきり言ってくださいよ」「そうだねえ。強いて言えばね・・・やっぱりやめておこう。教師と生徒の間だから」「そういう問題じゃなくて」・・・ 確かに「そういう問題」ではありません。

     「じゃあ言うけど、たとえばここに2つのジャガイモが並んで置かれている。このジャガイモのうち、どちらが好きかと聞かれたらどう答える」「うーん」「だろ?結局、料理に使えれば、どちらのジャガイモでもいいんじゃない?」「なんか、ぼくたちが、カレーに入れられるジャガイみたいですね」「そうじゃないよ。これはまあ、単なるたとえ話だよ」

     そういえば、2人とも坊主頭です。先生は、「ニンジンをたとえに使うべきだったか」と、「カレー作り」からあまり発想を離さずに考えました。

     「じゃあね、饅頭がここにあるとする。それを2つに割った時、どちらが好きって聞かれたらどう答える?」「今度はまんじゅうですか?いずれにしても、丸い食べ物ですね」「うん。話を丸くおさめようと思って」

     先生は、生徒と別れて、「ちょっとオチが弱かったかな」と反省しました。

     「それでもまあ、カドが立つよりいいか。生徒とエンを深めるコミュニケーションが大事だからなあ」

  • 2015年09月17日ブログの噺

    「なりすまし」

     体育祭も終わり、授業中心の学校生活が戻って来ました。

      

     1年生の全クラスで、定期的に行われている英単語の小テストに、生徒から反響がありました。

     従来どおりの形式のテストに、こんなコメントが付いていたのです。

     「How was your summer vacation? 夏休みをどう過ごしましたか?2学期がスタートしました。英単テストは、毎回合格を目指して練習していきましょう」

     テスト用紙には、フレンドリーな問いかけといっしょに、かわいいキャラクターが描かれています。「ヒヨコかな?」っと思ってよく見たら、「ヒト」でした。

     この英単語テストについて、男子生徒とこんな会話を交わしました。

     「今回のテストはどうだった?」「できたかどうかですか?」「それもあるけどね、問題の下にあったコメント」「あー、あれですか。『夏休みをどう過ごしましたか?』ってたずねられると、解答を中断して、思わず答えたくなりますよね」

     テスト中であったにもかかわらず、「オトコゴコロ」を少々くすぐられたようです。

     「あのテスト、誰が作ったと思う?」「女性の先生ですよね」「はずれ!」「ええっ、まさか先生ですか?」「当たり!・・・のわけないだろ」「まさか、ですよね。あのコメントの手書きの字は、先生じゃないですから」「でもね、コンピュータには、あんなフォントがあるかもよ」

     わざとナゾをかけるように言うと、男子生徒が、アイダホ州の芋畑で捕らえられた宇宙人のような不思議そうな顔をしたので、話がややこしくならないうちに言いました。 

     「でもね、あんなコメントがついていると、何だかやる気がでてきただろ?」「そうですね。毎回だと慣れてしまうと思いますけど」「パターンを変えることが大事だよね」

     日常のちょっとしたことに、スパイスを少々加える大切さについて、後ほど職員室で考えました。

     「うーん。要するに、やる気スイッチをオンにするために、パターンをかえて攻めればいいんだよな。よーし。いつか『なりすまし』でやってみるか」

  • 2015年09月10日ブログの噺

    「充実の秋」

     今年の体育祭は、数年ぶりに予定のプログラムを全て実施することができた「フルバージョン」でした。この何年か、台風や天候不順により、「短縮実施」を余儀なくされていたのです。

    「今年は天候をまったく心配せずに、体育祭ができるなあ」「本当によかったですねえ」

     当日朝、職員室でこんな会話をしていたら、空から傍受されていたのか、昼前にだんだん雲が厚くなってきました。

     そこで、あわてて低姿勢に転じ、「すみません。分ったような口をきいて」と謝ったら、「そういうことなら、まあ今回のところは許してやろう」と、何とか天気の崩れを回避できました。

     午後のスタートに予定された「部活動紹介」では、日頃部活に励む生徒たちが、颯爽と行進する姿が印象的でした。本校が、「全クラス部活動完全対応」に教育体制を刷新した「元年」の体育祭。是非、「部活動紹介」を行いたいという強い願いが、天に通じたようです。

     「これって本当に、久しぶりですね」「何年か前、部員にユニフォームに着替えさせていたら、直前に雨が降り出して、中止になったことがあったなあ」「いやあ、今年は実施できてよかったです」「そうだね。『まぼろしのプログラム』として、危うく『絶滅危惧種』の指定を受けるところだったから」・・・と、そんなわけはありませんが、部活動紹介を含む「フル実施」は、嬉しいことでした。

     

     体育祭の数日前、ある若い先生がぼやいていました。

     「朝から『組み体操』の監督指導をして、それから競技の召集誘導係が続いて、仕上げは『騎馬戦』の審判と役割が連続しています。その合間には、バックパネルをスタンドの上に担ぎ上げたり、入場門を組み立てたり、いろいろな仕事でへとへとになりました」「若い頃には、いろいろな仕事をこなして、経験を積むことが大事だからね」「それはそうですけれど、本当に体育祭って大変ですね。高校生の時のイメージだと、先生たちは、腕組みばかりしていると思っていましたけど」「うーん。まさに、フル回転だね」

     そういえば、体育祭は、若い先生の「フル」の働きぶりが目立ちました。

     

     体育祭が終了して、後片付けを済ませた生徒たちから、こんな声が聞えてきました。

     「これが終わったら、これからまた、部活の練習だなあ」「うーん。しかも明日も、明後日も部活だしね」「外で体育祭の練習と本番をやった後、またグラウンドに出て部活の練習をするのって、本当にまいるよねえ」「そうだね。しかも、フルに一日だからなあ・・・」

     学校全体が、すっかり「フル」に満ちています。まさに「充実の秋」でした。

     

  • 2015年09月03日ブログの噺

    「赤い野球帽」

      不順な天候に悩まされながらも、土曜日の本番に向って、体育祭の練習・準備が着々と進んでいます。

      体育祭は4つのブロックに分かれて行われ、それぞれブロックのカラーの帽子が生徒に配付されます。

      あるクラスの教室で帽子が配られた瞬間、大きな反応がありました。

     「赤い帽子かー!」「わーっ、ダセェー!」「これは、ないわあ・・・」

     「広島カープ」のファンならば怒るかもしれませんが、赤い帽子についてあまり肯定的ではない、大騒ぎとなりました。ブロックカラーは、赤・白・青・黄の4色ですが、やはり鮮やかさの点で際立っているのはレッドでしょう。

     このクラスが「赤ブロック」であることは、すでに分かっていたことなので、今さら驚くことはないのですが、鮮やかな赤の野球帽を見た途端、マタドールが振りかざす赤いマントを見た闘牛のような、大きな「生体反応」が生徒の間に起こりました。

     うわさを聞いて、職員室で、赤い野球帽手の現物を手に取って、しみじみと眺めてみました。

     「うーん。これか・・・。なるほどね」

     第一印象としては、あまり街なかをかぶって歩きたくない帽子です。「花火大会」に行くにしても、まったくユカタと似合わない気がします。(※個人の感想です)

     用途の点でいえば、「生徒たちが、体育祭のスタンドに座ってかぶること」以外、なかなか思いつきません。まさに、この目的のためだけに作られた帽子のようです。

     「たとえば、この帽子をかぶって庭の雑草除去作業をしたら、どうだろうか・・・?」

     もし通りかかった人が見たならば、こう思うかもしれません。

     「あらまあ。以前からずいぶん変わった人だと思っていたけど、やはりそうだったんだ」。これは、日頃の近所での「人物評」とかかわるコメントです。

     「うーん。家の中から作業をさぼっていないか、もしくは、脱走していないか一目で分かるように、とうとう赤い帽子をかぶらされるようになったか・・・」。これは、個人的な家庭内の処遇についての考察をもとにした感想です。

     グラウンドに設けられたスタンドに座り、ずらりと並ぶ生徒がかぶる赤い野球帽は、遠目にも鮮やかで秋空を背景にとても映えます。

     「こうして見ると、本当にキレイなんだけどなあ。この行事が終ったら、『思い出の品』になるしかないのか・・・」

     赤い野球帽の、「現役生活」を終えた後の「引退後」の仕事を見つける難しさについて、思いを馳せる秋の一日でした。

  • 2015年08月27日ブログの噺

    「マネージャーとお母さん」

     台風による臨時休校で1日遅れましたが、昨日、始業式が行われました。

      「ブログの噺」は本日より再スタートです。「充電期間の夏休み」と思っていましたが、チャージするのをすっかり怠けて、バッテリーはほぼ放電状態です。これから始まる新学期で、新たに充電することになります。いいわけのように聞こえますが、「泥縄式」とも考えられる「ライブ感覚」と「鮮度」こそが、大切なのかもしれません。

     夏休みにはいろいろな部活動で、公式戦はもちろん練習試合も含めて、他校との交流がたくさんありました。

     運動部の顧問の女性の先生から、こんな話を聞きました。

     「私が小柄なせいかもしれませんが、校外試合をする時、他校の先生からだけではなく生徒からも、マネージャーって思われることがあるんです」

     確かに先生には、ジャージを着ていたら、高校生と間違えられる「実力」があります。

     「ちょっと、マネージャーさん。顧問の先生に伝えて欲しいんだけど」

     こんな風に話しかけられて、思わずムッとしながらも、「はい。わかりました」と、素直に答えたこともあるそうです。

     たとえば、意識的に少し派手目にお化粧をして、目立つアクセサリーを身につけて、「大人」であることを強調しても、こんなことを陰で言われているかもしれません。

     「なんだ、あのマネージャーの女の子。ちょっと校外で練習試合をしていると思って、口紅とかつけて、調子に乗ってるんじゃない?後で、あの学校の顧問に知らせよう」

     「マネージャー疑惑」を晴らすには、とにかく先ず周囲の人に、「教師」であることを認識させることが大切です。そのためには、人目を意識した部員への「立ち居振る舞い」がモノをいいます。

     「腕組みをして、少し威張った感じで、生徒に命令している姿を周りに見せることが大事だと分かってきました」

     この夏、先生は、「顧問教師として認識されるストラテジー」を、着実に身につけたようです。

     その一方、周囲から「お母さん」と勘違いされて、「納得がいかない」と訴える先生もいました。

     「なぜなのか、まったく分かりませんけど、よく保護者と間違えられるんですよね」

     「うーん、そうね。・・・先生がしっかりしているから、そう見えるんじゃない?」

       うまくフォローになっているかどうか、あまり確信が持てません。

     2人の先生はほぼ同じ年齢なのですが、「マネージャー」「お母さん」のいずれにしても、ちょっとした見た目のイメージで、レッテルをはられることが気になるようです。

     さて、わが身に照らして、「マネージャーと保護者では、どちらの方がいいだろうか」と検討しました。

     これが、今の時点での結論です。

     「マネージャーのお兄さんでもお父さんでも、どっちでもいいや。孫の活躍を見に来たおじいさんと思われるよりもね・・・」

     

  • 2015年07月16日ブログの噺

    「今学期ラストの噺」

     この噺は昨日書いたので、今日は少し涼しくなって困っています。  

     

     「今年は冷夏かな?」

     と考えていたら、余計な「心配」を吹き飛ばすかのように、暑い夏がちゃんと戻って来ました。超大型のドライヤーから吹き出される熱気が、スローモーションの蛇踊りのように、地面をのたうちまわっています。

     ふと見ると、「ケインズ経済学」を信奉するアリたちが、せっせと公共事業に精を出しています。暑さは彼らの仕事ぶりにまったく影響を与えません。「国民投票」をしているようなヒマは、彼らにはないようです。

     「あつは、なついなあ・・・」

     こんな古典的なボケを、口にしてみました。毎年夏になると、暑さでボンヤリとした頭に浮かぶ決まり文句です。  

     ところが、ある先生からこんな話を聞いて、白濁している意識が瞬時に覚醒する気がしました。

     数日前の放課後のことです。教室のイスに座って一人の男子生徒が、自分の腕をさすりながら、悩んだような口調で、こうつぶやくのが聞こえてきました。

     「うーん。心筋梗塞かも・・・」(!)

     いくら「家庭の医学」やウィキペディアを調べてもムダに思われる、斬新なコメントです。

     さらにその時、偶然、廊下を通りかかったクラスメートが、「シンキンコウソク」の生徒の悩みを聞いて、励ますように言いました。

     「それは、違うんじゃない?」「うーん。そうならいいけど」  

     その場にいた先生は、生徒同士のシュールな会話に口をはさみたくなる衝動を押え、やっと思いとどまったそうです。

     このやり取りをめぐって、職員室でこんな会話が交わされました。

     「それって、ギャグだとしたら天才的ですよね」「心筋コウソク・・・だもんね」「ちょっと思いつかないセリフですよ」  

     確かによく吟味してみると、ある種の味わいと不思議なセンスを感じさせる言葉です。

     「そういえば、地理の授業を参観した時、『地図の上で海抜の高さの同じ線を結んでできた線を何と呼ぶ』っていう質問に対して、生徒が真面目な顔して、『前立腺ですか?』って答えたのにも笑ったけどねえ」  

     これは苦し紛れに頭に浮かんだことばを、やっと口に出した結果でしょう。

     「この手のセリフは、わざとなのか、無意識のものかによって評価が分かれますね」「そうだね。笑わせているのか、笑われているのかという差は大きいな」「うーん。わが身を振り返れば、ボクは最近、生徒を笑わせているより、笑われていることがはるかに多い気がします」「センスのズレを再調整する夏休みか・・・」  

     これで1学期の「ブログの噺」は終わりです。今学期のご愛読、ありがとうございました。2学期始業式以降、再開させて頂きます。また、ご愛読のほどよろしくお願い致します。

  • 2015年07月09日ブログの噺

    「身分証明書」

     「これ、先生のクラスの生徒のでしょ?」

     ある先生が、ふと手渡された身分証明書を見ると、現在のクラスの生徒のものかと思いきや、何と10年以上前に卒業した生徒の身分証明書でした。

     「懐かしいなあ・・・。もちろん名前にも顔写真にも覚えがあるけど。でも、いったい今頃なぜ・・・・」

     卒業生の、ラミネート加工された本校1年次の身分証明書が、町で拾った方から学校に届けられ、元の担任の先生の手元に届いたのです。ただし、その拾得の経緯はあまりはっきりしていません。10年以上経過したものにしてはとてもキレイなことが、不自然なくらいです。

     「何でこんなものが、今頃拾われたのかなあ・・・」

     乾いた雑巾を絞るようにいくら考えても、まったく検討がつきません。

     「それにしても、いったい、この身分証明書をどうすべきか・・・」

     いつまでも「過去のこと」を悩んでも仕方がないので、「今後」について関係者全員で協議することになりました。「関係者」とは、身分証明書の持ち主の1年と3年次の元担任の先生と「クラスメート」の3人です。クラスメート?「身分証明書」の卒業生のクラスメートが、偶然、本校で教師として勤めているのです。

     「先ず、この身分証明書を、この卒業生はなぜ今まで持っていたんだろうか?」「高校生活の思い出として、ですか?」「・・・それなら、3年次のものを持つはずだよねえ」「まあ、そうでしょうね」「うーん」

     1年次の担任が、遠くを見るような目つきをしました。

     「そういえば、あのクラスは結構大変だったなあ」「そうですね。中選挙区時代の政党みたいに、クラスの中にハバツがあって、ちょっと間違うと抗争事件が起こりそうでした」「そうそう。体育の時間にチームスポーツをやると、チームの中が分裂したりしてね」「個性派が多かったんでしょうかね」「君も、その一人だ」「あっ、すみません」「今はずいぶん大人になってるけど」

     一枚の身分証明書からサツマイモを掘るように、ズルズルと「芋づる式」に思い出が収穫されました。漁船で言えば「大漁旗」が掲げられそうなくらい、しかも、大漁に獲れ過ぎた魚の重みで船が沈みそうになりそうです。

     「ところで、この身分証明書どうしようか?」

     そういえばこのために、頭を3つそろえてディスカッションをしているのでした。

     「番号が書いてあるので、そこに電話してみるのはどうですか?」「10年前だからねえ・・・」「もし電話がかかったとしても、事情を説明するのもめんどうですね」「わざわざ『取りに来なさい』というほどのこともないかもしれないなあ・・・」

     しばらくすると、「協議」に疲れて(飽きて)きました。

     「まあ、これについては、すぐに解決しなくちゃならない問題でもないしね」「じゃあ、今日はこれくらいということにしましょうか」「ところで、この身分証明書を、元クラスメートに任せるっていうのはダメ?」「教育者の責任として、それはダメでしょう」「いくら元担任でも、10年以上経っているから、もう『時効』だと思うけどねえ・・・」

     「継続協議」は夏休みに行われる予定です。

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