九高の四季

九高の四季

2014年12月の記事

  • 2014年12月18日ブログの噺

    「ボディビル」

    「ボディビル」

     年内最後の噺(はなし)です。「「噺」って、何て読むんですか」と生徒から聞かれたので、読み方を書いてみました。「口へん」に「新しい」と書いて、「噺(はなし)」です。

      日が暮れるのがすっかり早くなりました。女子生徒が多くなっている現状で、本校では、通学路の安全がいっそう求められています。

     顔見知りの生徒と、こんな会話をしました。

     「この頃では、5時半くらいになると真っ暗になりますね」「夏とは、まったく時刻が違って感じられるよ」「こんな季節には、駅まで『近くて便利』って大事ですね」。コンビニのキャッチフレーズは、学校にも当てはまるようです。「しかも、安全だしね」

     平成3年にJR九州高校口ができる前は、香椎の町並みが入り組んでいるせいもあり、駅までの道のりが遠く感じましたが、今ではすぐれた「ショートカット」のおかげで、「遠近感」が違います。

     「そういえば、九高口ができる前は、線路を渡る生徒がいたって聞いたことがあります」「そうだよ。早く帰りたい気持ちで危険を顧みなかった生徒がいたんだよ。その頃の生徒の間では、線路を渡ることを『ワープ』って呼んでいたようだよ」「・・・ワープですか?」

     これには、現代の高校生には解説が必要かもしれません。当時、「宇宙戦艦ヤマト」というTVアニメが流行り、ヤマトは、「ワープ」と呼ばれる「三次元空間を四次元的に折り曲げて、出発点と目的地をくっつけ一瞬で目的地に行く宇宙航行法」により、宇宙空間を瞬間移動していたのです。当然、この頃では、線路を「ワープ」する生徒もいなくなりました。

     「九高口ができてから、登校にかかる時間が短縮されたのと同時に、事故に対しての安全も確保されたよ」「どういう意味ですか?」「ずいぶん前のことだけど、あわてて線路を渡って転んで腹部を強打して、大ケガした生徒がいたんだよ」「そんなことがあったんですか」「うん。あの時は本当にびっくりしたなあ」「線路を渡るって危険って、列車事故ばかりじゃないんですね」

     その時、一命をとりとめた生徒は、もう40代半ばを過ぎていると思います。

     「それから当然、夜道の安全が確保されたしね」「九高口を通らないと、ずいぶん暗くって細い道を歩かないといけないですよね」「でもね、九高口を通る時でも、暗くなったら気をつけなくちゃね」「それなら、先生、私のボディビルになって下さい」「・・・・・・?」「あっ、間違った。ボディガードでした」「ああ。一瞬、鏡の前で、筋肉を誇示しなくちゃならないのかと思ったよ」

     少し早いのですが、よいお年をお迎え下さい。

  • 2014年12月11日ブログの噺

    「初犯」

     来週火曜日から保護者会が始まり、いよいよ終業式に向ってカウントダウンが始まっています。早くも、頭の中にジングルベルが鳴り響き、トナカイに引かれたソリで登下校するイメージを描いている生徒がいるかもしれません。センター試験が刻々と迫る受験生にとっては、それどころではないでしょうが。

     寒くなったせいか、体育の授業の後、教室のカギ係の生徒が来るのを待ち切れなかったのか、偶然開いていた廊下側の窓から教室に入ろうとして、見つかった生徒が先生から叱られています。

     「窓から入ろうとするなんて、君は猫か」「すみません。窓のカギをかけ忘れているが目に入って、つい」

     こんな場合、生徒が「実は、ボクはネコです」などと言おうものなら、指導時間は延びます。もっとも、猫が窓を手で開けるとしたら、ユーチューブに投稿ものです。

     「すみません。初めてやったんです。許して下さい」。こんな場合、平謝りが、「早期釈放の道」です。

     「まったく、常識というものがない行動だぞ」「すみませんでした。うっかりやりました。初めてなんです」

     なかなか指導は終りません。生徒は「初犯」を強調していますが、車のスピード違反と同様、「そんなわけはないだろう」というのが、取り締まり側のスタンスなのです。「ゴキブリホイホイ」に捕われたゴキブリが「初めてなので許して下さい」と言って、リリースしてもらおうとするようなものでしょう。

     こういう場合、言い逃れの手段として「みんなやってます」などと抗弁する手もありますが、事態はもっとややこしくなることを、生徒は経験則で知っています。

     ちなみに、国民性を表す小噺で、何かをする理由として、アメリカ人は「かっこいいから」、ドイツ人は「法律で決まっているから」、フランス人は「するなと言われるから」、日本人は「みんながやっているから」するそうです。

     「初めてのおつかい」ならぬ「初めての窓から教室侵入」は、「みんながやっている行為」ではなく、かつ、あまり「カワイイ行為」ではなかったようでした。それでも、生徒がぼやく声が聞こえました。

     「本当に、初めてやったんだけどなあ・・・」

     

  • 2014年12月04日ブログの噺

    「先生なん?」

     師走になりました。期末考査も終わり、成績処理に追われる日々です。忙しいはずなのですが、近所を歩いていたら、「あらっ、先生、走っていませんね?」と、からからかわれる12月です。

     帰り道、JR九州高校口からプラットフォームの方に向かって歩いていると、本校生の4、5人のグループとすれ違いました。その際、一人の生徒が「こんにちは!」とあいさつしてくれたので、「こんにちは」と応えたら、しばらくすると、別の生徒の声が聞こえて来ました。

     「先生なん?」「うん」「あっ、そう」

     大変簡潔な会話ですが、「(今すれ違った人は)九州高校の先生?」という、確認のやり取りだったようです。スクールバッグの光沢から判断すると、1年生のグループでしょう。思わず呟きました。

     「まったく素人は困るなあ・・・。でもね、彼らのうち、少なくとも一人からは、知られていたわけだ。認知度はほぼ25パーセントだな。一億2千万の国民ならば、少なくとも3千万人くらいが知っていることになるか。中国だったら3億人以上。地球規模だったら・・・」。はてしなく、余計なことが頭に浮かびました。

     教科によって違いますが、一般的に先生というのは、学年と共に「進級」する場合が多く、すなわち所属する学年以外の生徒から、まったく顔を知られていないということがあります。そのように「面が割れていない」場合、耳をパラボラアンテナ状態にしておくと、受信料を払ってないのに、通学途中の生徒から、いろいろな先生のウワサを「傍受」することがあります。

     「○×先生の授業って面白い」「△◇先生、カッコイイー!」。こんな肯定的なものから、時々ネガティブなものもあり、そんな時、恐ろしい秘密を盗聴したような気分になります。

     「聞いてはならぬものを聞いてしまった。これは、特定秘密保護法の範囲だな・・・」

     話を戻すと、生徒が「先生を先生と認知できない」ケースとは逆に、「生徒を生徒と気づかない」場合もあります。

     休日に、町で会った高校生くらいの若者から会釈をされ、会釈を返したものの誰かよく分からず、「卒業生だったかなあ・・・」とぼんやり考え、数時間後に、現在教えている生徒だと気づいて、こんな自問をしたことがあります。

     「あの生徒、教室とまったく違う雰囲気だったなあ・・・生徒なん?」

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