九高の四季

九高の四季

2015年2月の記事

  • 2015年02月26日ブログの噺

    「フレッシュ」

     3年生の家庭学習期間に入って、彼らが担当していた特別教室の掃除を1年生が代わりにしてくれています。掃除監督のため、放課後、担当の教室の前で生徒を待ちました。

     「1年○組です。掃除に来ました」

     10人くらいの生徒が、監督者の前に現れた瞬間、爽やかな声が廊下に響きました。

     「それでは、掃除をよろしくお願いします」「はい」

     先ず、返事の良さに感心しました。ペパーミントの香りの風が、周囲に流れている気がします。

     「トイレの芳香剤のように、人工的でないところがいいなあ」・・・あまり、爽やかではないコメントです。

     彼らの仕事ぶりもなかなかテキパキとしていて、実に爽やかです。指示を出すと、「はい。わかりました」と答え、迅速に掃除に取り組みます。雰囲気から判断すると、運動部の生徒が多いようですが、とても能率的でムダがありません。

     今まで掃除を担当していた3年生のように、「先生もボーッとして見てないで、掃除して下さいよぉ」などと、世慣れた交渉を、決して口にしません。「監督はベンチで指示するだけで、試合に出ちゃいけないんだよ」と、こちら「もカウンター口撃」をするのですが。

     1年生は、「お見合い」で知り合ったばかりのように、初々しく従順かつ素直ですが、時には相手に好奇心を示します。

     顔見知りになって数日経ったある日、こんな質問がありました。

     「先生は、何の教科の先生ですか?」「うーん。何だと思う?」「数学、ですか?」「おしいなあ」「じゃあ、理科」「違うね。英語だよ」「やっぱりそうかあ・・・」

     こんなやや文脈がずれた他愛もない会話でも、軽やかな笑いが生まれ、後に爽やかさが残ります。

     「まるで、コミュニケーション機能が付いた、高性能の自動掃除機『ルンバ』が何台も稼動しているようだなあ・・・」

     動きにムダがないせいか、掃除時間が大幅に短縮され、その上、清掃状況も以前よりはるかによくなりました。

     「じゃあ、これで掃除を終ります。ありがとうございました」「ありがとうございました!」

     立ち去る時、再び、爽やかな動きが空気を震わせた気がしました。今度は、ジャスミンの香りが漂います。

     「そういえば、新入生のことを英語で『フレッシュマン』って言うからなあ・・・」

     職員室に戻りながら、ふと思いました。

     「さて、このフレッシュさが、いつもでも続くといいな。『消費期限』を伸ばせるように、保存しておきたいぐらいだなあ。『空気の真空パック』か・・・」

     こんなことを願望するのは、自分の中にフレッシュさが欠乏している証拠でしょう。長い人生の航海で、心のビタミンCを使い果たしているのです。

     「この年齢になれば、賞味期限も消費期限も保証期間も、すべて切れてしまっているからなあ・・・。残るのは、寿命だけか」

     すぐに自虐に陥るのも、やはり「フレッシュでない」証拠でしょう。

     

     来週は、考査期間中のため「噺」はお休みです。3月12日が、年度の最終回です。

  • 2015年02月19日ブログの噺

    「記者会見」

     今年は3年生の授業のみ担当していたせいで、現在、「噺」の話題が職員室事情に集中しています。

      例年、3年生が家庭学習期間に入って、正規の授業がなくなったこの時期、3年生の授業だけを担当している先生にとって、周囲の視線が大変気になります。「授業がない先生」、要するに「ヒマな先生」という、ある意味「ヒボーチュウショー(誹謗中傷)」とも考えられるレッテルが、背中に貼り付けられている気がするからです。

     もっとも、「授業がない」といっても、「私大一般入試対策」とか「国公立二次試験対策」の講座が行われていて、また、担任の先生は、それぞれのクラスの個別の進路指導が継続中であり、決して「浮世を忍ぶ」必要もないのですが、何となく「居場所のない感じ」に悩まされます。

     職員室では、3年生関係の先生の姿がいつもより多く見られる気がします。さらに具体的に言えば、体育の先生がジャージに着替えていないと、周囲からの「授業なし疑惑」が高まります。

     「あら、今日はネクタイしめてどうしたの?」「いいえ。今日は、保健の授業だけしかないから、ですね」

     と、こんなことを言っても、なぜかイイワケがましく、言葉にリアリティーが欠けます。

     やたらとコンピュータを立ち上げている先生の机上で、スクリンセーバーが阿波踊りをしているのもまずいものです。「仕事をしているフリ」疑惑が、潜水艦のように突然浮上する恐れがあるからです。

     さらに用心が必要なのは、職員室にある時間割表示用のガラスケースです。これは、曜日と時限の枠の中に、プラスチックのコマで各先生の時間割が示しあるものですが、無情なことに、「授業終了」の後に、そのコマが外されてしまうのです。

     「こんなに時間割が空いているのを見られたら、世間から何と言われるやら。個人情報として、モザイクをかけるのが無理ならば、保護用のシールを名前の上に貼って欲しいなあ・・・」

     こんなムチャなことを考えながら、心ひそかに肩身の狭い思いを感じます。ところが、授業というエクササイズ量が減っているため、確実に肩幅が広くなり、重量も増しています。

     「あーあ。授業が次から次にあるから、本当に忙しくって余裕がないなあ」

     周辺にいる1・2年生担当の先生の、こんな何気ない言葉が、鼓膜を突き破り内耳に突き刺さる気がします。そしてそんな時、フグが自分の毒で痺れているような、ある種の「自家中毒」を感じます。

     ふと、忙しそうにしている他学年の先生の冷たい視線のシャワーを浴びている気がして、「スタップ細胞」の記者会見のように、思わず叫びたくなりました。

     「授業は、ありまぁす!」

  • 2015年02月12日ブログの噺

    「インフルエンザとの戦い」

      この噺は、2週間くらい前のことです。現在は、インフルエンザも「ピーク」を過ぎて、小康状態になりました。

      季節柄、学内でインフルエンザの流行の兆しが感じられるようになりました。

     朝、職員室で「欠席届」の電話が鳴り響いています。

     同じ教室に長い時間いる生徒はもちろんのこと、先生たちにも感染者が出ています。

     「こればかりは、いくら手洗いやうがいをしても防ぎきれないみたいだなあ」。この時期に毎年思う、月並みなことです。

     学校内部の事情をいえば、お休みをする先生の数が増えてくると、その授業の補てんをするために、時間割係の先生もてんてこ舞いになります。

     「○×先生がインフルエンザにかかったみたいです」「なんで?」「何で、って言われてもですね。・・・まあ、要するにインフルエンザウイルスが体内に入って」「入れないようにすればいいのに」「まあ、それはそうなんですけど」

     こんな会話において、インフルエンザ感染のメカニズムについて、特に詳細な説明が求められているわけではありません。

     「インフルエンザにかかるのは、若い先生のほうが多いみたいだなあ」「そんな気がしますね」「やっぱりウイルスも、行動範囲が広くて活発な肉体に宿ろうとするのかなあ」「その方が、『インフルエンザウイルス帝国』の発展にはいいのかもしれませんね」

     あまり根拠のない類推ですが、確かに生徒及び若い先生の方が、「シニア層」に比べて、例年、インフルエンザの罹患者が多いような気がします。

     「ベテランの先生は、長い人生を経て、様々なウイルスと戦ってきた結果、百戦錬磨の状態なのかなあ」「家庭に小さな子供がいる先生は、特にインフルエンザをもらいやすいんじゃないですか」「確かに、幼い子供がいない家では、あまりインフルエンザに縁がない気がするな」「それと、生徒との接触度も関係あるかもしれません」「確かに、ボクにはあまり生徒が寄ってくることはないしね」「そんなに、ひがまないで下さいよ」「第一、この年齢でインフルに罹ったら、それは死を意味するからな」

     悲壮なしめ括りの言葉が聞かれました。

     とやかく言っても、先生たちの急なお休みで穴が開いた授業は、学校全体でカバーするのが当然です。インフルエンザに対する戦いに際して、士気を高めるため、職員室でこんな「前向き」なことばが聞かれました。

     「いっそのこと、みんなで、インフルエンザを分かち合おう!」「うーん。それはいやだなあ・・・」

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