九高の四季

九高の四季

2014年4月の記事

  • 2014年04月24日ブログの噺

    「級長選出」

      「いやー、まいったなあ」と、職員室である先生の声がします。耳を傾けると、新クラスのLHRでのことのようです。

     「新学期にあたって級長を選ぼうと思って、教室中の生徒の顔を見渡したら、全員が絶対にボクと目を合わせないようにするんだよね」「そりゃそうですよ。うっかり目が合ってしまって、『先生から級長に指名されたら、エライこっちゃ』と思っているんじゃないですか」

     「級長」というポジションは、クラスの「リーダー」というよりも、むしろ「世話役」というか、場合によっては、担任の「秘書」のような働きを求められます。当然のことですが、単なる名誉職ではないので、立候補が選出にあたっては望ましいのですが、そういかない場合もあります。

     「そういえば何かの係りを決める時、大人の世界でもそうだよね」「町内盆踊り大会の世話人とかPTAの役員とか、なかなかなり手がない時、会議が長引きますね」「どんどん時間が経つにつれて、会議室が深海の底のようにシーンとなって」「・・・鉛筆の転がる音が聞こえるくらいの静寂に部屋が包まれます」「咳払いまで、妙に意味深に聞こえてね」「うっかり座る姿勢を変えたら、思わず議長と視線が合ってしまうこともありますから」「そこで何か発言を求められて、つい余計なことを口走って、役を引き受けることになる恐れがあるし」「それで誰もが、貝殻に隠れたヤドカリみたいになりますよ」

     学校はまさに「社会の縮図」なので、そういう状況における身の処し方を学ぶこともできるのでしょう。できれば、カメレオンのように周囲の色に体色を合わせて、すなわち保護色を身にまとって、議論の場から姿を消してしまう技を学ぶことも必要です。

     「それで結局、級長選びはどうしました」「うーん。古代ギリシャ風に直接民主主義を採用して、ジャンケンで決めようと思ったけど、それも強引な気がして、次回のLHRに先送りすることにしたよ」「それまでに根回しするんでしょ?」「いよいよ立候補者がでない場合には、それも仕方ないかもしれないね」

     たとえば国会議員や知事のように多額の供託金を納めさせることによって、立候補者の数を制限するのとはわけが違います。

     「それでも、学級経営において、『級長選び』って大切ですよね」「授業開始と終了のあいさつの号令がまずいと、クラスの雰囲気がまったくシマラナイものになるしね」「そんな時、思わず『しまった・・・』って言ってしまいますよね」

     

  • 2014年04月16日ブログの噺

    「交流戦のパフォーマンス」

     いつもは木曜日ですが、今週の「噺」は、本日掲載します。

     明日、春日公園野球場にて、午前11時にプレーボール開始で、九州産業高校と野球の交流戦が行われます。

     交流戦は、九州産業大学の2つの付属高校同士が、それぞれの学校の愛校心と、互いの友情と絆を深めることを目的として、本校の創立五十周年をきっかけに、昨年度より始められました。大学と2つの付属高校の創立者を記念して、「中村治四郎杯」とネーミングされています。

     昨年の交流戦では、試合前のグラウンドで、九州産業高校の吹奏楽部の華麗な演奏とマーチングが行われ、「50周年おめでとう」のパネルを掲げながら、堂々たるパフォーマンスを繰り広げる大集団の姿に、胸が熱くなりました。今年も、きっと素晴らしい演奏・演技が披露されることでしょう。

     本校は、「体育祭名物」ともいえる「学校応援」という集団演技をスタンドで行います。今週の月曜日、2・3年生は各学年1時間ずつ、新しくできた「KYUSHUコミュニティホール」にて、事前練習をしました。

     応援団部の団長と団員の指導により、「練習」は進められました。階段状の座席を備えるホールなので、「真剣にちゃんとやってないと、分かるぞ」と、生徒一人ひとりの練習の参加姿勢が「一目瞭然」となるためか、いつも以上に本番さながらの、熱の入った雰囲気が漂っています。

     ところが、一連の練習の中で、「まだまだ、こんな風じゃダメだ!」と言わんばかりに、応援団部顧問の先生が、指揮を取り始めました。先生は学年主任であり、また、愛校心溢れる本校のOBでもあります。練習風景に「モノタリナイ」さを、感じたのでしょう。「大きな声で!大きな声で!!」と生徒を煽りながら、まさに「生きた手本」として自らも「大きな声で」、熱い指導を直々に始めました。

     その指導の様子は、「水を得た魚、水陸両用のアザラシ」とでもいうか、「誰にも止められない」躍動感に満ちています。全身に「応援というのは、こうやってするんだ!!」という気迫がみなぎり、その背後には、巨大な蚊取り線香のような妖気が、「妖怪七変化」のごとく渦巻いています。「中性脂肪も滲み出ているかも」・・・余計なことも頭を過ぎりました。

     「年季が入っていると言うべきか、全身から養老の滝のように、エネルギーが次から次へと溢れ出て来る迫力はスゴイな・・・」

     職員室に帰って冷静な気分に戻ると、「これこそが、応援指導の真髄なのだ・・・」と、なぜか生物学会に報告すべき大発見をして、「ネイチャー」や「フライデー」に投稿したい気分になりました。

     さて、こうした指導を受けた練習の成果が春日球場で、ついに全貌を現します。もしお時間がございましたら、是非足をお運び頂きご覧下さい。「野球のルールがまったく分からなくても楽しめる交流戦」という評判が巷に大いに流れ、一般観客の入場制限をやむなしとする日の到来が待たれます。

  • 2014年04月10日ブログの噺

    「ビスケット」

     新学期が始まって、新2・3年生にとって第一の関心事は「クラス替え」であり、次に担任の先生は誰か、最後に教科担当の先生が何者であるか、さらに、どれくらい凶暴な人間かということでしょう。

     昨年度、教えていた生徒に偶然会ったら、こんなことを言われました。

     「先生、今年はボクたちのクラスを教えないんですね」「うーん、残念ながらね」「先生、クビになったんですか?」「うーん。おそらく『戦力外通告』といったところかな」。実際のところ、今年は、「新天地」で「戦力」となりました。教えるクラスについての「配置転換」は、いろいろなバランスで行われるのです。

     「ところで先生、去年の約束を忘れていませんよね」「・・・・・・?」「先生、ビスケットくれるって言っていたじゃないですか」

     そういえば、何かのきっかけで授業中につい口をすべらせて、「この問題が解けたら、お菓子をあげよう」と、アザラシに芸を仕込む際に小魚を与えるようなことを言ったら、その生徒は、そのことを忘れてなかったらしいのです。肝心の授業内容はあまり伝わらなくても、こういうことだけは生徒の記憶からなかなか消えないものです。

     その生徒からは、顔を合わせるといつも催促があって、その度、「本格的なビスケットを作るために、今、材料を一から準備しているところなんだ」とごまかしていました。

     「そのために家の庭に小麦やサトウキビ畑を作っていて、ついでに新鮮なミルク用の牛を飼っているんだけどね」「じゃあ、ビスケットが出来上がったら、すぐにくれますか」「うーん。まだまだ完成するのにしばらくかかりそうだよ」「本当ですか?」「完成が間近と思ったら、製法に関するデータの写真が間違っていたり、ネットの文献をコピペしたのがばれて、悪意がある『ねつ造』って疑われたりして、大変なことになっているんだ」「どこかで聞いたような話ですね」「まあ、そういうことだから、もうしばらく待っててよ」「いつもそんな風にごまかしているんですね」「まあ、大人には、いろいろ事情があってね。とにかく、『究極の』ビスケットの完成を楽しみにして、新しい学年で勉強に頑張れよ」。何とかスリーアウトを取ったピッチャーのように、かろうじてビスケットの話題を切り抜けました。

     それからちょっと微妙な間があって、生徒が立ち去り際に言いました。「先生。寂しいですね」「・・・・・・」「先生のわけのわからないトークが、聞けなくなるなんて」

     生徒と別れてから、しばらくして妙にしんみりと思いました。「こんな会話をしていると、ちょっぴり涙が出そうになるな。・・・スズメの涙くらいのナミダか・・・ダチョウくらい巨大なスズメの」。続けざまに「わけのわからない」ことが頭を過ぎりました。

     今年もシュールな思いつきに身を任せ、「新天地」で精一杯の授業をしようと思いました。

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