九高の四季

九高の四季

2015年5月の記事

  • 2015年05月28日ブログの噺

    「ライブとアドリブ」

     お断りするまでもないのですが、ここに掲載している「噺」は、「読む人は読む」という性質のものです。

     ですから、学校の雰囲気を描くという以外に、特別な目的・用途はありません。「そのうちに、スマホに大根おろしの機能が付くんじゃないかなあ・・・」と考えることがムダであるように、「学校生活や高校生について、秘められた深い洞察が表現されているのではないか」という「深読み」はまったく無用のものです。

     しかし、このように「どうでもいいことを書く」という、投げ手にも受け手にも行方の分からないナックルボールのような文にも、不思議と関心を持つ人がいて、そんな先生たちの中から、なぜか「『噺』に一度は登場したい」という意図の、「売り込み」が時々あるのです。

     

     ちょっと前のある日のことです。職員室である先生が卒業アルバムを眺めていると、偶然通りかかった女性の先生が覗き込んで、こう話しかけました。

     「可愛く、写っていますか?」「・・・・・・?」「カワイく、撮れていますか?」

     机に広げられたページには、たまたまその女性の先生の写真が載っていたのですが、いきなりポートレートの感想をたずねられ、アルバムを見ていた先生が聞き返しました。

     「えっ・・・?」「思い切って言ったのに、こんなこと、もう一度言えませんよねえ・・・」「はぁ・・・・・・?」

     微妙な間合いと不思議な雰囲気が、2人の先生の間に漂いました。男性の先生は、米・アラバマ州のトウモロコシ畑でいきなり捕えられた宇宙人のように、事態がまるで分らない表情です。

     と、ちょうどその時、向かい側の席に座って、その光景に出くわした私と、女性の先生の視線が合いました。

     「このことを、いつか書いて下さいね」「・・・・・・!」

     今度は私が、火星人の表情を浮かべる番になりました。

     「話は目で聞くように」とは、「聞く姿勢」の指導の際に生徒によく語られることばです。しかしながら、「目で聞く」ことの限界を、これほど感じたことはありませんでした。

     その後、その女性の先生と、職員室ですれ違って目が合う度に、何となく強迫観念を自家中毒的に感じ始めました。

     「ああ言われたからには、いつかは書かなくちゃなあ。しかし、あの光景をどうやって文章にすべきかなあ・・・」

     高校生の頃、現代文が苦手だったのは、筆者や作者のことばの解釈に、一つの正解を与えることへのためらいが邪魔していた気もします。

     「あのシーンの経緯と、『いつか書いて下さいね』ということばをどう受け止めて、表現すべきなのか・・・」

     こんなことに頭を悩ませていると、毎日教室の「ライブ」で生徒と「アドリブ」で受け答えしていることが、とても気楽で素敵なことに思えてきました。

  • 2015年05月14日ブログの噺

    「密室の恐怖」

     本日の噺は、少し前のことです。

     

     朝、出勤して、いつものように職員ロッカー室に行ったら、入り口のドアノブが取れています。よく見ると、ドアには「出る時に注意して下さい」というはり紙がありました。

     「ふーん、そうか」と、あまり何も考えずにロッカー室に入り、用を済ませて出ようとしたら、注意のとおり内側のノブが取れていて、部屋に閉じ込められました。

     「あらっ!・・・」。はり紙には「出る時に注意して下さい」と書いてあったのを、素直に読んだ結果です。

     「ああ、あれは『入って閉めたら出られなくなります』という意味だったのか・・・」

     高校生の時に悩んだ、現代文の読解力の不足を嘆いても、後の祭りです。ノブの取れたドアはどうしても開きません。

     ロッカールームは2階にあります。窓を開けてみたら、直立した壁が地面に向かってあるだけです。

     「スパイダーマンなら、どうってことはないけどな」・・・考えても余計な感想でした。

     そこで、窓からの脱出は「緊急非常事態」まで保留することにして、ドアをたたきながら、ドアの向こう側に聞えるように叫ぶことにしました。朝の出勤時間なので、通りかかる人がいると思ったのです。

     「開けて下さーい!ドンドンドン!閉じ込められました!!ドンドンドン!!」

     すると、数分後にある先生が通りかかり、無事に救出してくれました。

     「ありがとうございました。エライ目にあいました・・・」

     職員室に行くと、もうこのウワサが伝わっています。

     「災難でしたね」「もう助からないかと思ったよ」

     そんなやり取りをしている内に、その前日の夕方、ある女性の先生がロッカールームに閉じ込められた事実が判明しました。

     「閉じ込められて、どうしようもなくて困っていたら、偶然携帯電話を持っていたので、それで連絡して救出してもらいました」「ケータイがあったからよかったね」「本当ですよ。冗談にならないところでした」

     私について言えば、「監禁」時、携帯電話もスマホも持ってなかったのです、というか、正確に言えば、そういう類の通信機器を持たない生活をしているので、そんな時だけ臨時に契約して、ソフトバンクやAUに頼ることはできません。

     「伝書鳩を飛ばすか、ノロシをあげるか、ヤシの実を流すしかなかったよなあ・・・」

     ふと思いました。ロッカールームは男性教職員用ですが、教務用ロッカーもあるので、女性の先生が入室しても不自然ではなく、その先生も教務の備品を探していて閉じ込められたのです。しかし、もしこれが逆の立場であったならば、どうなっていたことでしょう。

     「オッサンの先生が、女性ロッカールームに閉じ込められた状態から、幸運にも救出されたとしても、それを単に『幸運』と呼べるのだろうか・・・」

     「侵入罪!」「破廉恥!」「逮捕!!」という、あまり穏当ではない言葉が次から次に脳裏をよぎり、ぞっとしました。

     するとその時、はり紙を書いた先生が通りかかって、トラブルにつながる注意書きを書いた反省もなく言いました。

     「ドアノブって、取っ手だけに『とって』も大事」

     

    *来週は、中間考査中なので「噺」はお休みです。

  • 2015年05月07日ブログの噺

    「歓迎遠足?」

     先日、歓迎遠足が行われました。1・2年生は当初、「三日月山登山」でしたが、実施前日に行われた現地調査により、「山頂付近及びその途中の足元が悪い」という判断にもとづき、目的地が「長谷川ダム公園」に変更となりました。

     この「変更」によって、生徒と比べると圧倒的に疲労しやすく、その影響がいつまでも残る引率者の一部から喜びを隠せない声が上がりました。

     「やっぱり生徒の安全が第一ですからね」「そうだ、そうだ。いくら楽しい登山だって、生徒がすべって転んでケガでもしたら、元も子もないからなあ」「せっかくの行事が短縮されるのは残念ですけどね」

     先生たちの口から、 「楽になってよかった」というホンネは絶対に聞かれません。安堵の気持ちを深い井戸の底に沈めるような、「教育的理論武装」はカンペキです。

     短縮バージョンの遠足実施を知らされて「やったあ!」と同調する生徒がいる一方、元気に溢れ、エネルギーを持てあましている生徒の間から、不満も聞かれました。

     「先生。これくらいの距離を歩くだけだったら、『遠足』って呼べないじゃないですか?」「まあ、それはそうだけどね、山中はぬかるんだ所が多いらしいんだよ」「先生が、山登りしたくないからでしょ?」「違うよ。慎重な現地調査を念入りに行った上での学校の判断だよ」「調査の前の日に、若い先生が山に水を撒きに行ったんじゃないですか?」「そう。背中にタンクを担いで・・・。そんなことするわけないだろ」「それはそうですけれど、怪しいなあ・・・」

     昨今の債務をめぐるEUとギリシャのように、先生と生徒の信頼関係が、ぐらぐらと揺らぎそうになりました。

     生徒からさらに鋭い「真相究明」が続きましたが、のらりくらりとした答弁で切り抜けたところ、今度は別の方向から、こんなつっこみが入りました。

     「歓迎遠足って言いますけど、学年単位で行動するでしょ。どこが『歓迎』遠足なんですか?」「まあ、同じ学年に属する仲間として、お互いを『歓迎』して、『よろしくね』って親睦を深める遠足、ということかな?」「それだったら、時間と距離が短すぎませんか?」

     厳しい追求に困って、答弁の方向を変えて、言ってみました。

     「でもね、GW前の土曜日だから、君たちも少しでも早く家に帰れた方がいいんじゃないの?」「いいえ。どうせその後、部活なので、部活の練習が長くなるだけですから」「ああ、そうか。どうりで『完全実施』にこだわると思ったよ」

     

     

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