九高の四季

九高の四季

2017年5月の記事

  • 2017年05月25日ブログの噺

    「間違えました」

     ある日の職員室のことです。健康上の理由でダイエット中のある先生が、こっそり「規定外」の食品を食べているところを、年上の先生から見つけられ、深い愛情ゆえの厳しい指導を受けていました。

     「○×先生!キミは昼食のプラスアルファーとして、いったい何を食べているのかね!」

     「ダイエット破り」が発覚し、窮地に追い込まれた先生は、先輩のありがたい注意に感謝しながらも「保身」のため、おにぎりを握った自分の手を深い後悔と反省のまなざしで見つめつつ、それがまるで無意識の行動であったかのように、次のようなとっさの一言を発しました。

     「間違えました」・・・なかなか含蓄のある言葉です。

     この場合、「間違えました」とは、「すでに昼食として食べるものは食べていた」という事実を忘れ「うっかり間違えた」のか、あるいは、「自分が減量中である」という現状認識において「軽率にも間違えた」のか、それとも、頭では分かっていても、つい抗いがたい食欲に身を任せてしまったという点で、「人としてあるべき姿、もしくは生き方そのものを間違えた」のか、簡単に判断できるものではありません。しかし、瞬時に反省の気持ちが完璧に伝わる、ストレートかつ簡潔な言葉でした。

     「うーん。『間違えました』とは、もしかしたらこれは、非の打ちどころのない究極の懺悔のコメントかもしれないぞ・・・」

     吟味すれば、人生において謝罪や反省や後悔の修羅場をくぐり抜けて来た人ならではの、まさに「珠玉」の言葉です。

     ここでふと、以前のことを思い出しました。

     「そういえば、こんなことがあったなあ・・・」

     昨年のことですが、ある男子生徒が、「ちょっと奇抜な」ヘアースタイルをしているところを見つかり、「何でこんな髪型にしたんだ!」という先生の詰問に対して、次のような「とっさの一言」を発しました。

     「始業式なので、調子に乗りました」

     「・・・・・・?」

     「始業式なので」といういいわけは、「調子に乗った」という下の句にあまりふさわしいものではありません。

     「調子に乗った」というからには、もっとハッピーな気のゆるみを招く、「春がやって来たので」とか、「大型連休が続いた後なので」とか、「花火大会に行く前だったので」というのならまだしも、新しく迎えた学期の緊張感と似つかわしくないものでした。

     そして結局、そのコメントは指導の先生の心に、ますます火を点ける結果となったようです。

     かなり長引いた指導後に、「調子に乗った」生徒と、このことについて検証しました。

     「あの時、思わずあの言葉が口に出たんですけど、あれって本当にまずかったと思いました」「そうだね。ちょっと逆効果になったみたいだったね」

     さて、ここで問題です。その時、男子生徒が「間違えました」とストレートに反省の弁を述べたならば、はたして指導時間はどれくらい短くなったでしょうか。

  • 2017年05月11日ブログの噺

    「監視社会?」

     新しい年度の新学期が始まって1カ月が経ちました。

     3年生のクラス担任のある先生が、新しい自分のクラスの様子が気になって、昼休みにホームルーム教室がある階に足を運ぶと、昼食を終えた頃だったせいか、廊下に大勢の生徒が溢れていて、高校生らしい喧噪の中で午後のひとときを過ごしていました。

     「◎×▽☆○◆※○▲!」「☆◇♡■×※!!」「▲※♡☆◎!」「○▽☆○◆※☆◇!!」

     日本語のライティング・システムでは、ほとんど書き取れないやりとりが交わされています。

     (もっとも、高校生が集団になって、ぼんやり陽だまりに座って日向ぼっこばかりしていたんじゃ、身体の具合を心配しなくちゃならないけどもね・・・)

     内心ではそう思いながらも、アフガニスタンに投下された「大規模爆風爆弾(モアブ)」並みの大騒音と戦いながら(大げさ!)フロアーを歩き回ると、昨年担任をしていたクラスの生徒から話しかけられました。

     「先生。お元気ですか?」「おかげさまで、何とかやっているよ。ところで新しいクラスはどう?」「まだ雰囲気に慣れてないんですけど、こうして休み時間に廊下にいると、クラスの枠がなくなったみたいで楽しいですね」「道理で、いろいろな集まりがあると思ったよ」「不思議なもので、1年生、2年生それぞれのクラスメートの離合集散が起こるんです」「ミニミニ同窓会みたいなものかな?」「うーん、そうですね。人生は結局、出会いと別れの繰り返しですから」

     ちょっと演歌っぽいけれど、なかなかカッコイイせりふでした。

     昼休みが終わり、それぞれのクラスに生徒が戻り授業準備が始まると、それなりの秩序が訪れます。

     (やっぱり、クラス単位の自治体制というか、まとまりが大切なんだなあ・・・)

     先生は、「ウェストファリア条約以降、ヨーロッパでは主権国家が形成され、国家単位のまとまりが生じた」という、うろ覚えの世界史の知識を思い出しました。

     (うーん。しかし、こうした喧騒が連日繰り広げられているとすると、昼休みのこのフロアーに「交番」みたいなものが必要かもしれないな。ここにアウトドア用のテントとでも設置するか・・・)

     そういえば、廊下を歩いている間に、女子生徒からこんな声が掛かりました。

     「先生、ネクタイが曲がっていますよ!」「あーあ、上着の袖をチョークで汚しちゃって」

     まるで監視されるような言葉を思い出しながら、先生はしみじみと思いました。

    「見ることは見られることでもある。結局、『見張ったり見張られたり』が、昨今話題にされる『監視社会』とは別の意味で、教育活動の一環かもしれないなあ・・・」

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