九高の四季

九高の四季

2017年6月の記事

  • 2017年06月29日ブログの噺

    「本物志向」

     6月に恒例の文化祭が実施され、保護者の方々や卒業生諸君や一般の来客の皆さんを多数校内にお迎えして、大成功に終わりました。

     本校の文化祭では、3年生のみが食品バザーの模擬店を行うことになっています。もし全学年で食品バザーを可能にすると、行事そのものが「食文化祭」になる恐れがあり、「『真昼に出現した夜店の集合体』では真の文化祭とはいえないのではないか」という、もっともな教育的指摘があったのです。

     3年生の各クラスでは、HRでバザーについての話し合いがあり、そんなディスカッションの中、こんな生徒の声が聞こえてきました。

     「食品のバザーをするからには、やっぱり本格的なものをやりたいですねえ」「うーん。本格的ねえ。本物にこだわるというか・・・」「ホンモノこそ愛されますからね」

     そのクラスでは「焼きそば」がバザーのメニューとして検討されていたので、担任の先生がアドバイスしました。

     「本物志向の焼きそばならば、麺を作るための小麦は大地に種から撒くところから始めなくてはダメだよ」「そうなるとキャベツも当然畑から収穫するわけですね」「うーん。豚肉はやはり養豚から始めるべきか」・・・絶望的な空気が教室に漂いました。 

     この調子で考えると、「地鶏の炭火焼き」を提供するクラスならば、食材となるチキンを卵やヒナから育てたり、「冷凍パイン」の組は、熱帯の国にパイナップルの木を植えることから始めなければなりません。

     「これは無理だなあ・・・」「まあ、そこのところは『ショートカット』で考えて、ちょっと気楽にやりますか」

     現実路線に議論の舵が切られた結果、各クラスでどんどん準備が進みました。

     「スーパーで食材をそろえるだけでも、量が多いから大変ですね」「そうだね。家族4人分とはワケが違うからね」「こうなると核家族での生活は、バザー運営上の弊害となるな」「でもね、いくらなんでもサウジアラビアの王族じゃないから、何百人単位の大家族はいないでしょ」

     喧々諤々のディスカッションの後に材料の数量が確定し、文化祭当日を迎えました。

     朝早くに集合した生徒たちは家庭科室でキャベツを切り、ビニール袋の中で遠心分離の原理で(?)モヤシとブレンドし、野菜の下ごしらえも完了しました。

     「先生。これで準備OKです」「これからが本番だよ」

     実際の調理が開始され、思ったよりも手際よく、生徒の手によって鉄板の上で焼きそばが焼かれ始めました。

     「なかなか調子いいですよ」「うん。順調、順調。上手にやれているね」

     天性の焼きそば調理の才能を発揮し、日頃教室の姿から想像できない活躍をする生徒も現れ、また、「販売士」としての素質を開花させる生徒もいました。

     焼きそばを求める行列もどんどん長くなり、模擬店は大盛況。「順風満帆」を「絵に描いたモチ(?)」のような風景となった頃、こんな報告がありました。

     「先生、ピンチです!」「どうしたの?」「焼きそばの麺を投入する量のペース配分を間違えて、麺がなくなってきました!」

     それから10分後に追加の報告がありました。

     「麺がついになくなりました!」「野菜は?」「まだまだたくさんあります」「うーん」

     この時点で「閉店」も検討されましたが、準備した野菜の残量がかなり多いということで、ついにメニューが変更され、「本格的な野菜炒め」の販売が始まりました。

     ところが何が幸いするか分かりません。日頃はあまり野菜を好まないはずの小学生の一団が、何を勘違いしたのか「野菜炒め」に行列を作り始めたのです。・・・「本物の味」が認められたのでしょうか。

     その光景を見つめながら、生徒達がささやき合いました。

     「野菜に行列か。彼らのお母さんたちに見せたいくらいだね」「うーん。しかし小学生は、この野菜炒めのどこがホンモノだと思ったのかなあ・・・」

  • 2017年06月08日ブログの噺

    「そういう意味ではない」

     1学期には様々な健康に関する「保健行事」が行われ、その「真打」とも言える(?)検査について、ある先生からこんな感想が聞かれました。 

     「この頃、生徒の尿検査を提出する際の緊張感が違う気がしますね・・・」

     何気なく呟いた言葉に、ベテランの先生が思わずうなずきました。「そうだね。なぜだろうか?」

     少し考えると、これにはどうも検査提出の機会の数の増加が関係していることが分りました。

     「以前は家で検査して来るのを忘れて提出できないと、もう一日だけ予備日が設けられていましたが、今はさらに追加のチャンスが与えられていますよね」「そうか。いろいろな状況に対処する配慮が厚くなっているからね。そういう意味では、この頃、『大きな保健室』になっているのかなあ・・・」

     ここでこのコメントについて、解説が必要です。

     ご存じのように、政府や政治の形態に関して、「大きな政府」「小さな政府」という概念があります。

     「大きな政府」とは、「社会主義計画経済」や「ケインズ主義」にのっとり、国民の福祉や安全をしっかり守るための施策を広く厚く行う、「めんどう見のよい」政府。それに対して、「小さな政府」とは、「自由放任主義」、すなわち「あまり個人的のことには口をはさまない」という方針で、最小限必要とされる施策のみを行う保守的政治・経済路線です。・・・と、こんな難しいことを「現代社会」で生徒は習っているのです。

     先生達の会話は続きます。

     「『大きな保健室』って、どんなもんだろうか・・・」「ちょっとポイントを聞き間違えると、ベッドの数が100くらいあって、保健の先生が10人くらい在室している、まるで入院設備完備の大病院みたいになりますね」「それで考えると、『小さな保健室』って、三畳一間にベッド一つみたいなものかな?」「・・・ちょっと話がそれましたね」「うーん、そうだね。ところで、『大きな保健室』と『小さな保健室』では、どちらが生徒にとってはいいのかなあ」「難しい問題ですね。考える際に、短期的な視点と長期的な視点の両方が必要ですよね」

     ベテランの先生は、その場を離れた後も、自分の胸に問いかけを繰り返し行いました。

     (ところで、将来につながる教育という点で、『大きなクラス』と『小さなクラス』では、生徒にとっていったいどちらがよいのだろうか?)

     いくら考えてもらちが明かないので、「フィールドワーク」のため、昼休みに先生は教室の足を運んで、「大きなクラス」と「小さなクラス」について、生徒にたずねてみました。

     「現代社会で勉強しただろ?『大きな政府』と『小さな政府』って。たとえばそのことを、クラスの指導方針に当てはめると、『大きなクラス』と『小さなクラス』では、どちらの方が君たちにとっていいのかなあ?」「うーん。なかなか難しい問題ですね」「『近い将来』と『遠い将来』の両方の視点から検討しないとならないしなあ」「目先のことか、将来を見据えてかということになると・・・」

     すると、ここでこの会話を聞きかじった別の生徒が口をはさみました。

     「そういえば、隣のクラスの○×先生は『大きな担任』ですね。身長も高いし、体重も○×キロ以上あるでしょ?」

     ここで一斉にこんな突っ込みがありました。

    「いや。そういう意味ではなくて・・・」

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