九高の四季

九高の四季

2013年7月の記事

  • 2013年07月19日ブログの噺

    「爽やかカンキツ系」

    昨日、JRのコンピュータのシステム障害が起こり、列車の運行が大きく乱れ、生徒の登校をめぐって学校中がバタバタとしたため、「ブログの噺」が流す余裕が、まったくありませんでした。学校のコンピュータシステムが乱れたわけではなかったのですが、乱れたのは「平常心」の方だったのかもしれません。というわけで、仕切りなおして、今学期ラストの「ブログの噺」を本日掲載します。

     現在、保護者会・三者面談期間中であり、明日土曜日に終業式をひかえて、夏休みが始まる前のもっとも慌しい時期です。
     そんな忙しい中でも、こんな会話が職員室で聞こえて来ました。
    「僕も若かった頃、若手の○×先生のように、爽やかな雰囲気だって言われていたけどなぁ」「そうですか?初めて会った時から、先生はそんな風でしたけどねぇ」「そんな風って、どんな風?」「見てのとおりで」。
     女性の先生からきっぱりと言われたサッカー部顧問の先生は、確かに現在、教育熱心さゆえの多忙さが祟り、精神を擦り減らし過ぎた結果、その反動として、肉体をすり減らさないようにずいぶん気を遣って努力しているようです。その成果は、特に腹部に実っています。おそらく、根っからの努力家なのでしょう。
     さらに会話は続きます。「若い頃から、爽やかな柑橘系の雰囲気がすると、言われているんだけどなぁ」「カンキツ系?」「たとえば、カリフォルニアのオレンジやグレープフルーツみたいな、ね?」「うーん。柑橘系にもいろいろありますからねぇ」「まぁ、ミカンとか、キンカンもそうだね」「それから、たとえば、ボンタンとか晩白柚(ばんぺいゆ)もカンキツ系ですよねぇ」「そうなるのかなぁ」「鍋物に使うユズとかダイダイも、でしょ?お風呂にプカプカ浮かんだりしますよね」「うーん。それは爽やかさという点で、ちょっとイメージが違うかな・・・」。
     と、こんなラチの明かない会話をしながら、精神をリラックスさせながら、学期の総仕上げともいえる三者面談に備えているのです。まさに、これが「プロフェッショナル」の姿でしょう。
     「爽やかな夏風が吹き抜けるような、保護者会になったらいいなぁ・・・」。つぶやいて、どんな三者面談のことなのか、まったく具体的なイメージが頭に浮かばないのは、連日の猛暑のせいかもしれません。
     
     「ブログの噺」は本日をもちまして、しばらく夏休みとさせて頂きます。

  • 2013年07月18日生徒指導部より

    ★見た目の美しさ★

    「人の第一印象は出会って数秒で決まる」と言われています。人間関係を円滑に、望むとおりにしたいのなら、まず、「自分の見た目」を美しくしなければいけません。「どこから見ても恥ずかしくない自分でいよう」と心がける必要があるのです。見た目を美しくするということは、高級品の服を身に付けて、ブランドもので身を固めることではありません。だらしなくしないこと、清々しい緊張感が漂っていること、姿勢が正しいこと、そして、動作や行動に迷いがなく、動きにも無駄なく、キビキビしていることが見た目の美しさにつながるのです。

    ①姿勢がよい ②豊かな表情 ③明快な言葉 ④迅速な行動

    の4つがそろうことで清潔感が出て、相手に好感が生まれます。さらに、

    ①迅速な判断 ②丁寧な振る舞い ③継続する力 ④忍耐する心

    を行動の規範とすることで、成功へとつながっていくのです。これらは、外見の美しさにこだわった日本古来の武士道の教えです。さて、九高生の制服姿に注目してみましょう。清楚で清々しい緊張感が漂った服装でしょうか?腰骨を立て、姿勢を正し、俊敏に身をこなしているでしょうか?今一度自分の制服姿を鏡に映して、誰が見ても一点の疑義の無いすばらし制服の着こなしをしているかどうかを、ぜひ確認してもらいたいと思います。

  • 2013年07月17日九高の風景

    ☆東進ハイスクール特別授業☆

     本日は東進ハイスクールのご協力により、知る人ぞ知るカリスマ英語教師今井宏先生にご来校いただき、特進クラスの生徒に対し特別授業を実施していただきました。さすがに全国で活躍しておられるカリスマ教師だけあって、生徒は圧倒されっぱなし!常に笑いの絶えないすばらしい授業で、あっという間に1時間の授業が終わってしまいました。夏休みにも有名講師を招いた特別授業を計画しています。特進クラスの皆さん!いい刺激を受けて、さらに学力アップを図ってくださいね。 (著作権の関係で、特別授業の写真を公開できないのが残念です)

  • 2013年07月17日その他

    ☆東進ハイスクール特別授業☆

     本日は東進ハイスクールのご協力により、知る人ぞ知るカリスマ英語教師今井宏先生にご来校いただき、特進クラスの生徒に対し特別授業を実施していただきました。さすがに全国で活躍しておられるカリスマ教師だけあって、生徒は圧倒されっぱなし!常に笑いの絶えないすばらしい授業で、あっという間に1時間の授業が終わってしまいました。夏休みにも有名講師を招いた特別授業を計画しています。特進クラスの皆さん!いい刺激を受けて、さらに学力アップを図ってくださいね。
    (著作権の関係で、特別授業の写真を公開できないのが残念です)

  • 2013年07月15日九高の風景

    ☆芸大・美大受験公開講座☆

     7月13日(土)〜14日(日)の2日間、本校にて河合塾美術研究所主催による「芸大・美大受験公開講座」が開催されました。県内外から約50名の芸大・美大希望者が本校に集い、デッサンコンクールでしのぎを削りました。この講座に参加した本校のデザイン科生徒たちは、参加者のレベルの高さに圧倒されると同時に、もっともっと美のセンスを高め、自分の感性を磨かなければならないことを痛感しておりました。昨年より本校で実施されていますが、参加した生徒にとっては、本当にすばらしい経験であったと思います。

  • 2013年07月11日ブログの噺

    「メダカのいる教室」

     3年生のある教室に水槽が置いてあり、そこにメダカが飼われています。整然とした教室の片隅にある、「人口密度」というか「魚口密度」からいえば相当大きな、「豪邸」とも考えられる水槽の中に、4匹のメダカが暮らしています。
     担任の先生に聞いたところ、そのメダカたちには、専属の「いきものがかり」の生徒がいて、いうなればマンションの管理人さんのように、生活環境の維持に責任を持っているようです。
     「マンションの住人代表の理事長はいるのだろうか?きっと誰もなりたがらないから、いろいろもめた上で、結局、1年交替でやっているんだろうなぁ・・・」。思わず世俗的な、人間社会の構図を当てはめました。しかし、メダカはそんな不用の憶測にもかかわらず、それぞれ「唯我独尊」の境地で泳いでいます。
     水槽の傍らにメダカ用のエサが置いてあることに気づいて、「餌付け」をしたくなりました。
     「金魚には胃がないから、食べ過ぎて死ぬことがある」。以前、金魚を飼っていた時、このような注意事項を守らず、家の子供がエサをやり過ぎて、「キンギョが、お腹を上にして眠っている」と報告を受けた頃には、「時すでに遅し」の状態となり、「全員死亡」させたことがあります。そのことを思い出して、慎重に少量のエサを与えてみました。
     すると、メダカはエサを食べるため、急に敏捷に動き始めました。エサに向かって、一直線の動きです。
     「昼休み、カフェテリアに向かう生徒に似ているなぁ・・・」。 生き物から活力の源である食欲が無くなったら、同時に生気も失われていくのでしょう。「生きるために食べるか。食べるために生きるか」という、生き物の存在理由の2つのカテゴリーの哲学性が胸に迫って来ます。
     メダカをじっと眺めていると、時の経過を意識しなくなり、夏の氷のように頭の中の雑念が瞬時に溶けて消えていく気がして、とても癒されました。「市販の頭痛薬よりも利くかもなぁ。家でも、メダカを飼うかなぁ・・・」。きっと学期末の多忙さで、神経が擦り切れているのでしょう。
     「♪メダカの学校は川の中♪」。ふと口ずさんで、しばらくすると途中で「チーチーパッパ」と歌詞がかわっているのに気がつきました。「あぁ、これはスズメの方か。どうも自分の周辺は、こっちの雰囲気なのかもなぁ・・・」

  • 2013年07月10日未分類

    本から学ぶ(読書の取り組みから)

    今回も1年生入学時に提出されあt読書感想文の中から「優秀賞」に輝いた作品を紹介します。

    「生きるための教科書」
      仲村 祐香(1年)

     ひどく淡々とした、静かな物語であった。二百ページにもおよばない、短い物語。それが、何故だろう。読み終えた今、私はこの本が重く感じて仕方がないのだ。
     「ナゲキバト」は、九歳で交通事故で両親を亡くした少年、ハニバルと、その祖父であるポップの、春からクリスマスまでを描いた作品である。ポップはハニバルに「生きる」ということについて、たくさんのことを教えてくれる。
     ハニバルは作中、二羽と一頭の動物を殺すことになる。一羽は、タイトルにもなっている、ナゲキバトの母鳥。もう一羽は、その母鳥のひな。最後の一頭は、彼が育てていた子牛のオスカーだ。ナゲキバトの母鳥を殺めてしまったハニバルに、生き残った方のどちらかを殺させようとするポップ。
    「どっちにするか、きめなさい。」
    そのセリフを目にしたとき、なんて酷なことだろう、と思った。一羽を生かすためには、もう一方を殺さなければいけないと頭ではわかっていても、どうしてもそう思ってしまう。
     自分ならひな鳥を殺せただろうかと思うと、正直それには自信がない。自分のやったことに始末もつけず、逃げ出してしまうと思う。
     ポップは、取り返しのつかないことをしてしまったとき、どんなに反省し後悔しても、それはなかったことにはできない。自分で始末をつけるんだ。だが、人はその繰り返しで成長していくものである。そう教えたかったのではないだろうか。ハニバルの手にこびりついて取れない母鳥の血を見て、何も言わない姿から、そう感じた。
     牛のオスカーも、ハニバルが原因で死ぬことになってしまう。もう楽にさせてあげよう、というデイヴィーズ氏に、
    「ぼくがやります。」
    と言ったハニバルの頭の中には、ナゲキバトを撃ってしまったあの日のことが、蘇っていたことだろう。オスカーに向かって、
    「オスカー、ぼく、おまえの友だちだよ。」
    そう言って銃を撃ったハニバルの姿に、ひどく胸が詰まった。
     作中、悪の道に進もうとする友、チャーリーを、ひきとめることができずにもやもやするハニバル、という場面がいくつかある。私も、似たような経験があるので、ハニバルのその気持ちはよくわかる。やってはならないことだとわかって言いとがめても、説き伏せられてしまえば、黙るしかなくなってしまうのだ。それが仲の良い友達ならば、尚更だ。
     ハニバルにも、チャーリーのように、愚行に落ちる可能性はいくらでもあったのだ。では、何故ハニバルは、チャーリーと同じ道に進まなかったのだろう。
     一つは、やはり祖父のポップの存在が大きかったのだと思う。頭ごなしにしかりつけ、否定するのではなく、受け入れて見守るポップ。しかし、ただ見ているだけでなく、しっかりと正しい道に導いてくれていた。彼のひと言ひと言が、私と同じように、ハニバルの心にも深く刻まれていたのだろう。
     もう一つは、ナゲキバトを撃ってしまったときのことがあったからではと思う。心のどこかに潜んでいる、忘れられるわけもない鮮明な記憶。自分の好奇心からなるこうどうから、命を奪うという取り返しのつかないことをしてしまった。どんなに悔いても、その愚行がなくなることはない。そのことがどこか、ハニバルの心のストッパーとなっていたのだろう。
     チャーリーにもポップのような、心の支えとなる、芯の強いものがあったのならば、悪に染まってしまうことはなかったかもしれない。そう思うと、どうしようもなくやるせなさがこみ上げてくる。
     ポップの言葉一つ一つが、私の心の奥に沁み渡っていく。私にはこの本が、とても重く感じられる。彼の言葉は、この本は、私を一回り成長させてくれた。生きることの難しさ、大変さ、そしてそれがいかに素晴らしいかということを、ポップはハニバルに、読者である私にも、優しく教えてくれたように思う。命の話、愛の話、生きる話。どれも大切な宝物だ。この本は、私にとって、「生きるための教科書」なのである。

  • 2013年07月08日九高の風景

    避難訓練

    本日避難訓練を行いました。
    震度7の地震による家庭科室からの火災を想定し、全員グランドへ避難するというものでした。この訓練の目的は、次の3点です。
     ①災害時の基本的な避難経路・避難場所を確認すること。
     ②安全迅速に避難すること。
     ③確実な人員の掌握

    避難経路・避難場所の確認は今回の訓練で確認できたと思います。実際には様々な状況が重なって、通常の避難経路が利用できない場合も考えられます。日頃から通常の避難経路だけだはなく、他にも利用できる避難経路を確認しておく必要があると思います。

    今回の訓練で安全・迅速に避難できたかどうかという点については、まだ不十分なところがありました。まず、避難時に私語が多い!訓練ということもあって緊張感に欠けていたことは否めません。本来であれば10分以内に点呼報告を完了することが達成すべき目標だったのですが、今回は点呼完了までに11分40秒もかかってしまいました。実際の災害においてはもっと安全迅速な避難を心がけるべきでしょう。

    災害において最も大切なことは人員の掌握です。一人でも行方がわからないということがないようにしなければなりません。今回の訓練でも、人員点呼の報告の中で実際の状況とは異なる報告がなされていた事案が数件ありました。大いに反省すべきことです。

    天災は突然おとずれます。もし、火災・地震等が起きても、本日の訓練の反省を通じて、秩序正しく全員が安全に避難できるように心がけたいと思います。

         

  • 2013年07月04日ブログの噺

    「期末考査終了」

     4日間にわたる期末考査が昨日終了しました。先週まで、生徒をテスト時間いっぱい取り組ませ、ある意味生徒を苦しめる考査問題の作成に勤しんでいた先生たちが、今度は自分の作ったやっかいな問題の採点に苦しむ番です。これはプロレスの必殺技である「4の字固め(フォーフイギュアロック)にも似て、相手に技をかけている状態から体勢が裏返ると、技をかけている側に苦痛が訪れるようなものです。・・・とこれは、わかる人にはわかりやすく、まったくプロレスに興味のない人にはわかりにくい比喩でした。
     ある先生が、別の用事で職員室にやって来た生徒にたずねています。
     「試験はどうだった?」「まぁまぁだと思います。前日には徹夜しましたから」「試験監督の先生によると、試験中、君がウトウトしていたって聞いたぞ」「いやぁー。きっとテストが出来たので、その後、つい安心して寝てしまったのかもしれません」
     その生徒が足早に去った後、その生徒の答案をすぐに採点した先生が、こう呟くのが聞こえました。
     「あーぁ。これだったら、前日徹夜せずにちゃんと寝て、頭がすっきりした状態でテストに取り組んだ方がよかったんじゃないかなぁ・・・」
     保健体育の試験監督をしていて、答案に「心肺機能」と書くところを、「心配機能」という文字を見つけて、「『心配昨日』だったら、もっと意味深なのになぁ・・・」と呟いたことがあります。
     またある時には、解答用紙の答えの「おごれるものは久しからず」が、「おぼれるものは久しからず」になっていて、「それはそうだなぁ・・・。『おごっても』久しくないだろうけど、海水浴やプールで『溺れたら』、すぐに命にかかわるからなぁ・・・」と、妙に納得したことがあります。
     それぞれの生徒が、それぞれの事情で懸命に書いた「答え」を、「4の字固め」に苦しみながらも、ある意味では楽しみながら、採点は進んでいきます。時には、「笑点」の大喜利大会のような答えを見つけて、思わず呟くことがあります。「座布団一枚!」

  • 2013年07月03日未分類

    本から学ぶ(読書の取り組みから)

    1年生が入学時に提出してもらった読書感想文の中から優秀作品を紹介します。

    ★十五少年漂流記を読んで★
          1年 松尾 拓武
     僕は、この十五少年漂流記を読んで、冒頭の厳しさや、これから自分の力で生きていく上で出会うであろう出来事が書かれていたような気がしました。
     14歳から8歳までの少年十五人の乗船した船は、ふとしたことから漂流を始め、嵐に流され絶海の孤島に上陸します。なにもないこの孤島で十五人の少年たちは住居を作り、狩りをして食料をとるなどして、大人が一人もいない状態の中で二年間を共に暮らしてゆくという物語でした。
     自分は、この十五人の少年に突如訪れた生活に恐怖を感じながら、素晴らしい知恵と勇気に満ち溢れ、希望を捨てずに二年間を過ごした少年たちのとても子供たちとは思えない生き方に感動しました。
     人生においては、いつ大きな壁にぶつかるかわかりません。現代の日本の子供たちがこのような状況に出会ってしまった場合、この十五人の少年のように逞しく生活できるのか心配になりました。自分に置き換えて想像してみても、彼らのように住居を作ったり、狩りをしたりして食料を得るなどといったことは出来るのか不安になり、まだ自分は完全に自立をしていないという事実を知ることとなりました。また、この本は、これから自立をして生きていく自分達に、もう駄目だと諦めたり、自分達で道を開こうという意志が弱かったりしない方法をひそかに教えてくれているような気がしました。
     勇気を持って、決して諦めずに努力をすれば必ず道は開かれる。この十五人の少年たちは、必ずしも運だけで家に帰り着くことが出来たとは言えません。船が漂流し、嵐に流された時、彼らは、大人が一人もいない状況で、しかも知識を持っているのは一人だけという場面でも勇気を持ち、決して諦めず、努力した結果、船は転覆や沈没することがありませんでした。無人島にたどり着き、彼らは力を合わせて生き抜かなければならないという場面でも、島を何度も探検して地名をつけながらいかだや住まいを作りました。釣りや猟をし、リーダーを選び、争いを克服して、みんなで助け合ったりしたのも、勇気を持ち、決して諦めずに努力したから生き延びることができたのだと考えました。
     登場人物の中には、いろいろな国籍の人がいました。イギリス人が十一人、フランス人が二人、アメリカ人が一人、それに黒人の男が一人。自分は産まれた国が違えば、考え方も違うはずだと考えました。その予感が当たり、やはり、意見の行き違いが時々ありました。国籍が同じ人が一人もいない最年長の十四歳のゴードンと、黒人のモコは、とても不利な状況だったけれど、彼らは、大統領制を取り入れ、初代の大統領は、アメリカ人で思慮深いゴードンとなり、規律の正しい生活を送ることができました。後に、島には、殺人を犯した悪者の水夫たちが流れ着くが、彼らは、その意味の行き違いという大きな一つの壁を乗り越え、十五人の少年たちの絆がいっそう深まったことを感じさせるかのように、悪者の水夫を撃退しました。このようなことから、十五人の少年達が懸命に生きる姿に、読んでいるうちに、この物語に引き込まれそうになりました。
     この物語を読んだ後に、なぜこの十五人の少年たちは、一人も死ぬことがなく、生きて家に帰ることが出来たのだろうと考えるようになりました。最初に思い浮かんだ言葉は、運でした。しかし、彼らは運よく、生きて家に帰れたとはいえ、彼らの自立した行動一つ一つが無事に帰国という結果に結びついたのだと思いました。
     大人でも難しいと思われるこの十五人の少年達の行動には尊敬しました。なぜ、彼らは最年長が十四歳の少年達なのにこのような行動をとることが出来たのか、いつしか疑問を持つようになりました。その後に、十五人、一人ひとりの自分で道を開いていこうという意志の強さがあることに気付かされました。
     自分は、この本を読んで、沢山の失敗や危険が待ち構えているこれからの人生、決して希望を捨てずに懸命に生き、そしてお互いを思いやる気持ちを持つことにより、この物語にあったような一つ一つが自立している行動に移すことが出来るのだと考えました。
     この物語では、この先、人生でぶつかる大きな壁を乗り越えるために必要なことを教えてくれたような気がしました。
    (1年生読書感想文最優秀賞受賞)

このページのトップへ