九高の四季

九高の四季

2015年9月の記事

  • 2015年09月24日ブログの噺

    「丸いコミュニケーション」

     放課後、顔見知りの男子生徒が2人、飲み物の自販機のそばのベンチに座っているのを見つけて、ある先生が話しかけました。

     「やあ、くつろいでいるね」「まあ、部活の練習が始まるまで、ゆっくりしているんです」「遅くまで練習があるからね」「授業をたくさん受けて、それからずっと部活ですから」

     本校では通常、45分の7時間授業が行われています。彼らが授業中に時々、「しっかり休んでいる」ように見えるのは、きっと「誤解」なのでしょう。

     「好きで入った部活なのに、思いがけず練習が短くなったりすると、思わず『やったあ!』って思いますね」「そうだねえ。いくら好きでやっていても、毎日やっているとそんな気持ちになるのはムリないな」「夏の暑い日には、部活より授業のほうがずっといいと思うこともありますよ」「うーん。そうだろうねえ」

     そういえば、いくら勤勉なアリでも、真夏の日中に肉体労働に従事する姿は辛そうです。・・・庭で30分ほど、じっくり観察しているだけで、熱射病になりかけたことがあります。

     それからしばらく「好き・嫌い」をめぐり、生徒とあまり結論のないコミュニケーションをはかり、そろそろ先生が切り上げようとしたら、生徒の一人から、こんな質問がありました。

     「ところで先生。唐突ですが、僕達のうちのどちらが好きですか?」

     本当に「とうとつ」な質問です。先生は、2人の生徒の顔を見くらべて言いました。

     「どちらといってもねえ・・・」「はっきり言ってくださいよ」「そうだねえ。強いて言えばね・・・やっぱりやめておこう。教師と生徒の間だから」「そういう問題じゃなくて」・・・ 確かに「そういう問題」ではありません。

     「じゃあ言うけど、たとえばここに2つのジャガイモが並んで置かれている。このジャガイモのうち、どちらが好きかと聞かれたらどう答える」「うーん」「だろ?結局、料理に使えれば、どちらのジャガイモでもいいんじゃない?」「なんか、ぼくたちが、カレーに入れられるジャガイみたいですね」「そうじゃないよ。これはまあ、単なるたとえ話だよ」

     そういえば、2人とも坊主頭です。先生は、「ニンジンをたとえに使うべきだったか」と、「カレー作り」からあまり発想を離さずに考えました。

     「じゃあね、饅頭がここにあるとする。それを2つに割った時、どちらが好きって聞かれたらどう答える?」「今度はまんじゅうですか?いずれにしても、丸い食べ物ですね」「うん。話を丸くおさめようと思って」

     先生は、生徒と別れて、「ちょっとオチが弱かったかな」と反省しました。

     「それでもまあ、カドが立つよりいいか。生徒とエンを深めるコミュニケーションが大事だからなあ」

  • 2015年09月17日ブログの噺

    「なりすまし」

     体育祭も終わり、授業中心の学校生活が戻って来ました。

      

     1年生の全クラスで、定期的に行われている英単語の小テストに、生徒から反響がありました。

     従来どおりの形式のテストに、こんなコメントが付いていたのです。

     「How was your summer vacation? 夏休みをどう過ごしましたか?2学期がスタートしました。英単テストは、毎回合格を目指して練習していきましょう」

     テスト用紙には、フレンドリーな問いかけといっしょに、かわいいキャラクターが描かれています。「ヒヨコかな?」っと思ってよく見たら、「ヒト」でした。

     この英単語テストについて、男子生徒とこんな会話を交わしました。

     「今回のテストはどうだった?」「できたかどうかですか?」「それもあるけどね、問題の下にあったコメント」「あー、あれですか。『夏休みをどう過ごしましたか?』ってたずねられると、解答を中断して、思わず答えたくなりますよね」

     テスト中であったにもかかわらず、「オトコゴコロ」を少々くすぐられたようです。

     「あのテスト、誰が作ったと思う?」「女性の先生ですよね」「はずれ!」「ええっ、まさか先生ですか?」「当たり!・・・のわけないだろ」「まさか、ですよね。あのコメントの手書きの字は、先生じゃないですから」「でもね、コンピュータには、あんなフォントがあるかもよ」

     わざとナゾをかけるように言うと、男子生徒が、アイダホ州の芋畑で捕らえられた宇宙人のような不思議そうな顔をしたので、話がややこしくならないうちに言いました。 

     「でもね、あんなコメントがついていると、何だかやる気がでてきただろ?」「そうですね。毎回だと慣れてしまうと思いますけど」「パターンを変えることが大事だよね」

     日常のちょっとしたことに、スパイスを少々加える大切さについて、後ほど職員室で考えました。

     「うーん。要するに、やる気スイッチをオンにするために、パターンをかえて攻めればいいんだよな。よーし。いつか『なりすまし』でやってみるか」

  • 2015年09月10日ブログの噺

    「充実の秋」

     今年の体育祭は、数年ぶりに予定のプログラムを全て実施することができた「フルバージョン」でした。この何年か、台風や天候不順により、「短縮実施」を余儀なくされていたのです。

    「今年は天候をまったく心配せずに、体育祭ができるなあ」「本当によかったですねえ」

     当日朝、職員室でこんな会話をしていたら、空から傍受されていたのか、昼前にだんだん雲が厚くなってきました。

     そこで、あわてて低姿勢に転じ、「すみません。分ったような口をきいて」と謝ったら、「そういうことなら、まあ今回のところは許してやろう」と、何とか天気の崩れを回避できました。

     午後のスタートに予定された「部活動紹介」では、日頃部活に励む生徒たちが、颯爽と行進する姿が印象的でした。本校が、「全クラス部活動完全対応」に教育体制を刷新した「元年」の体育祭。是非、「部活動紹介」を行いたいという強い願いが、天に通じたようです。

     「これって本当に、久しぶりですね」「何年か前、部員にユニフォームに着替えさせていたら、直前に雨が降り出して、中止になったことがあったなあ」「いやあ、今年は実施できてよかったです」「そうだね。『まぼろしのプログラム』として、危うく『絶滅危惧種』の指定を受けるところだったから」・・・と、そんなわけはありませんが、部活動紹介を含む「フル実施」は、嬉しいことでした。

     

     体育祭の数日前、ある若い先生がぼやいていました。

     「朝から『組み体操』の監督指導をして、それから競技の召集誘導係が続いて、仕上げは『騎馬戦』の審判と役割が連続しています。その合間には、バックパネルをスタンドの上に担ぎ上げたり、入場門を組み立てたり、いろいろな仕事でへとへとになりました」「若い頃には、いろいろな仕事をこなして、経験を積むことが大事だからね」「それはそうですけれど、本当に体育祭って大変ですね。高校生の時のイメージだと、先生たちは、腕組みばかりしていると思っていましたけど」「うーん。まさに、フル回転だね」

     そういえば、体育祭は、若い先生の「フル」の働きぶりが目立ちました。

     

     体育祭が終了して、後片付けを済ませた生徒たちから、こんな声が聞えてきました。

     「これが終わったら、これからまた、部活の練習だなあ」「うーん。しかも明日も、明後日も部活だしね」「外で体育祭の練習と本番をやった後、またグラウンドに出て部活の練習をするのって、本当にまいるよねえ」「そうだね。しかも、フルに一日だからなあ・・・」

     学校全体が、すっかり「フル」に満ちています。まさに「充実の秋」でした。

     

  • 2015年09月03日ブログの噺

    「赤い野球帽」

      不順な天候に悩まされながらも、土曜日の本番に向って、体育祭の練習・準備が着々と進んでいます。

      体育祭は4つのブロックに分かれて行われ、それぞれブロックのカラーの帽子が生徒に配付されます。

      あるクラスの教室で帽子が配られた瞬間、大きな反応がありました。

     「赤い帽子かー!」「わーっ、ダセェー!」「これは、ないわあ・・・」

     「広島カープ」のファンならば怒るかもしれませんが、赤い帽子についてあまり肯定的ではない、大騒ぎとなりました。ブロックカラーは、赤・白・青・黄の4色ですが、やはり鮮やかさの点で際立っているのはレッドでしょう。

     このクラスが「赤ブロック」であることは、すでに分かっていたことなので、今さら驚くことはないのですが、鮮やかな赤の野球帽を見た途端、マタドールが振りかざす赤いマントを見た闘牛のような、大きな「生体反応」が生徒の間に起こりました。

     うわさを聞いて、職員室で、赤い野球帽手の現物を手に取って、しみじみと眺めてみました。

     「うーん。これか・・・。なるほどね」

     第一印象としては、あまり街なかをかぶって歩きたくない帽子です。「花火大会」に行くにしても、まったくユカタと似合わない気がします。(※個人の感想です)

     用途の点でいえば、「生徒たちが、体育祭のスタンドに座ってかぶること」以外、なかなか思いつきません。まさに、この目的のためだけに作られた帽子のようです。

     「たとえば、この帽子をかぶって庭の雑草除去作業をしたら、どうだろうか・・・?」

     もし通りかかった人が見たならば、こう思うかもしれません。

     「あらまあ。以前からずいぶん変わった人だと思っていたけど、やはりそうだったんだ」。これは、日頃の近所での「人物評」とかかわるコメントです。

     「うーん。家の中から作業をさぼっていないか、もしくは、脱走していないか一目で分かるように、とうとう赤い帽子をかぶらされるようになったか・・・」。これは、個人的な家庭内の処遇についての考察をもとにした感想です。

     グラウンドに設けられたスタンドに座り、ずらりと並ぶ生徒がかぶる赤い野球帽は、遠目にも鮮やかで秋空を背景にとても映えます。

     「こうして見ると、本当にキレイなんだけどなあ。この行事が終ったら、『思い出の品』になるしかないのか・・・」

     赤い野球帽の、「現役生活」を終えた後の「引退後」の仕事を見つける難しさについて、思いを馳せる秋の一日でした。

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