九高の四季

九高の四季

2013年の記事

  • 2013年12月21日九高の風景

    Qコム杮落とし

    Qコムの杮落としとして、式守満美さんのピアノコンサートが開催されました。3年生がコンサートに参加し、式守さんのすばらしいピアノの音色に心温まる時間を過ごしました。

      

  • 2013年12月19日ブログの噺

    「腕相撲」

     昼休み、授業のため早めに教室に行くと、教卓を「土俵」に数名の女子生徒が腕相撲をしていました。

     以前ならば、男子生徒がこのような筋肉を使う「遊び」をよくしていたものです。だいぶん昔のことですが、といってももちろん「石器時代」とか「縄文時代」ほど昔のことではありませんが、ある日、クラスの男子生徒が2人、腕をダラリと下げて、情けない表情で職員室に現れました。

     「どうした?」「先生、腕相撲をしていて、なかなか決着がつかなくて、とことん戦っていたら、2人とも腕がこんなになってしまいました。・・・保健室に行っていいですか?」。

     「ダメ」とは、とても言えない状態になるくらい、2人の「ライバル」は、熱戦に次ぐ熱戦を展開したようで、「治療が必要なのは腕ではなくて、闘争本能に身を任せ過ぎた、頭の中身のほうではないか」と思うくらいでした。

     「改正男女雇用機会均等法」の施行以来、あらゆる職種に女性の進出や活躍が見られるようになり、「スポーツ」の分野にもこの波が押し寄せ、昼休みの過ごし方にも、明らかに影響が出て来ているようです。

     女子生徒達は、腕の筋肉が弛緩するほど頑張った「先輩達」とは違って、熱くなり過ぎて保健室に行かずに済む程度の分別はわきまえているようでした。しかし、「ファイティング・スピリット」に溢れていて、「力試し」にチャレンジする姿勢はやる気満々の様子です。

     すると、何となく嫌な予感がしたのですが、「来るな!」と思った瞬間、やはり次のような挑戦のコメントを投げかけて来ました。「先生、腕相撲しましょう?」「ボクは左利きだから、やめておこうよ」。口に出してまったく説得力がない言葉だと気づきました。そして押し問答の末、ついに承諾して、挑戦を受けなければならなくなりました。「体が弱くって、しかも日頃、チョークしか持たない非力だからねえ・・・」。口からでまかせに、こんなことを言ってもムダでした。

     「それじゃあ、いいですか。レディ、ゴー!」

     結局2人の女子高校生と、続けて腕相撲の対戦をすることになりました。そして当然といえば当然のことですが、結果は「楽勝」でした。「しかしまあねえ、これは自慢にならないだろうな・・・」

     以前、近所の人から、年に一度の町内会の折、「職業柄とはいえ、女子高校生と毎日話せていいですね」と羨ましがられたことがありますが、さらに羨ましがられるような、「自慢できる体験」が増えたのかもしれません。

     これで、年内の「噺」は終わりです。よいお年をお迎え下さい。

  • 2013年12月18日九高の風景

    インドネシアの高校生来校!

       

    本日、インドネシアのデポック高校、タンゲラン高校(共にインドネシア国立高校)から生徒29名、先生3名の計32名が九州高校を訪れました。これらのインドネシアの高校と本校との姉妹校締結の調印式も行われました。交流会ではインドネシアの高校生といっしょに、“消しゴムを利用した印鑑(スタンプ)”を作成しています。日本の”漢字”を使ったデザインを考え、辞書を片手にコミュニケーションをはかりながら、ジェスチャーと得意の絵で心を通わせていました。初めは緊張していた生徒たちも、だんだんと距離が縮まり笑顔となり、とても楽しい国際交流の時間となりました。国際交流って本当にすばらしいですね。

  • 2013年12月16日九高の風景

    「飛 鳥(ひちょう)」

    九州高校 創立50周年を記念してモニュメントが完成!!

    陶芸家 髙鶴 元(コウヅル ゲン) さんの作品「飛 鳥(ひちょう)」が本校体育館前に設置されました。50周年という大きな節目を迎え、これから未来へ羽ばたいていく生徒たちを見守るかのごとく地上を見下ろす鳥の姿に、心洗われるようです。100周年に向けて心新たに取り組む本校の真摯な姿を象徴するモニュメントで、力強くカラフルなデザインがとても印象的です。

  • 2013年12月12日ブログの噺

    「技あり一本」

     先週、電話連絡で伝えられる生徒の遅刻欠席の理由を話題にしました。通常の連絡は、風邪や腹痛などの「よくある理由」ばかりなのですが、生徒の口から直接聞く理由の中にはユニークなものもあり、柔道でいうならば、「技あり一本」の判定を出したくなる場合があります。

     ある朝の課外授業に遅刻者がいて、授業の途中で姿を現したので、理由をたずねました。

     「どうしたの?」「電車に乗り遅れました」「どうして乗り遅れた?」「家を出るのが遅くなりました」「なぜ家を出るのが遅れたの?」「朝食で卵かけご飯を食べていて・・・」「卵を割るのに手間取った?」「いいえ。卵はすぐに割れたんですが、食べ終わったら気分が悪くなって、ウぇってなって」「それで遅刻したんだ」「そうです」。

     これは少々、「風が吹けば桶屋がもうかる」式の迂遠な理由でしたが、「卵かけご飯」という言葉に、日本の家庭の朝の情景を思い浮かばせる風情が感じられなくもありません。ここで判定を下しました。

     「しかしまあ、それだけのことで、『技あり一本』ではないな・・・。まあ、『有効』か『効果』くらいかな」

     しばらくすると、もう一人の遅刻者の生徒が来ました。ちょうど板書している時だったのですが、教室のドアをそっと開けて、忍者のように忍び込もうとしたようですが、周囲の笑い声で失敗に終わりました。

     「どうした?」「玄関で、思わず寝てしまいました」「玄関で?」「えぇ。学校に行く準備がすっかりできて、家を出る前にちょっとホッとして玄関に座ったら、そこで寝込んでしまって」「そんなことがあるかなあ?」「あったんです」「僕個人の話だけど、ずいぶん昔、忘年会でちょっと飲み過ぎて、家にたどり着いた途端に安心して、目が覚めたら玄関で寝ていたことがあるけどね」「酔っ払いとは違いますよ!」「まあ、それはそうだけど。そんなところで寝込むなんてね。以前にも、そんなことあった?」「いいえ。前にも眠りかけたことはありますけど」「君には、玄関で起こしてもらうため、『お嬢様専属』の執事がいるねえ」。

     こんなやり取りをして、授業が終わって職員室で考えました。「あの遅刻の理由は『技あり一本』かな・・・?」

     この生徒の家の玄関はとても広いのでしょう。「うっかり寝込むくらい広い玄関ならば、柔道ができるかも」・・・「技あり一本」が、的外れな方向に連想を向かわせました。

  • 2013年12月09日九高の風景

    KYUSHUコミュニティーホール(Qコム)竣工式

      

     本日は“KYUSHUコミュニティーホール(愛称:Qコム)”の竣工式が行われました。長い間工事のために生徒の皆さんを始め多くの方々にご不便をおかけしました。いよいよ"Qコム”の完成です。創立50周年を記念して建設されたこのホールは、文化部の諸活動はもちろんのこと、講演や演奏会等様々な行事で活用されます。文武両道を目指す九州高校にとって素晴らし環境が整えられました。これから図書館の移動等で、すべての施設を利用するにはもうしばらく時間をいただかなければなりませんが、このホールを存分に活用して九州高校のさらなる発展を目指してまいります。さっそく12月21日(土)には、式守満美さんのピアノコンサートが開催されます。

  • 2013年12月05日ブログの噺

    「家族割」

     期末考査も終わり、これからは試験の答案返却、成績出し、通知表の作成と慌しい日が続きます。

      朝、職員室で授業の予習をしていると、遅刻の連絡の電話のやり取りが聞こえて来ました。生徒本人からの電話で、「妹を保育園に連れて行くために、朝の部活のミーティングに遅刻します」という内容でした。

     「授業開始前のことなのに、クラブの集合の遅刻を伝えるなんて、なかなかしっかりした律儀な生徒だな。しかも妹の世話をするためだなんて感心だなあ」

     日本の家庭に、年の離れた兄弟姉妹が多くいた時代を想起させ、胸の中に爽やかで温かく素朴な、昭和のそよ風が吹くような気がしました。

     「モーニングコール」の内容もこんなのばかりならいいのですが、担任の先生にとって朝の欠席・遅刻の連絡は、ストレスを与えるような理由を伴うものが少なくありません。

     「理由」の中でもっとも正体がつかみにくいものに、「体調不良」というのがあります。

     「体調不良だって?ボクだって、体調が不良でない時はないぞ・・・」。毎日、成人病の薬を飲んでいる先生の呟く声が聞こえます。

     「先日は、『家の前の道路が工事中で、回り道をしたために遅刻』っていう連絡がありましたよ」「うーん。以前にね、家を出ようとしたら、近所のおばさんから回覧板を渡されて、それを近所の家に持って行ったら犬に噛まれそうになって、あわてて逃げたら足を挫いて、病院に行くから遅刻しますっていう、ストーリー性のある理由を聞いたこともあるけど」「そこまでいくと、なかなか波乱万丈ですね」。

     こんな声も聞こえて来ました。「でもですね、自分からちゃんと連絡して来るのはまだまだいいですよ。こちらの方から、遅刻や欠席の確認の電話をしょっちゅうかけなくちゃいけない生徒がいて、しかもやっかいなことには、携帯電話にしか出てくれないんですよ。電話をかける回数も多いから、『家族割』にしたいくらいです」「家族同士だって、そんなに頻繁に電話しないよね」「うーん。そう考えれば、家族並み、もしかしたらそれ以上の関係なのかも・・・」

  • 2013年12月03日教育雑感

    「九高だより」より

    今回は毎月本校ホームページで更新されている「九高だより」の中の“教育雑感”を抜粋しました。

    安部政権肝いりの教育再生実行会議が、大学入試を「人物本位」に改める提言をまとめました。「ペーパーテスト重視」からの転換は広く支持を集めていると思いきや、「教
    育と社会を荒廃させる」と警告 ーパーテスト重視」からの転換は広く支持を集めていると思いきや、「教育と社会を荒廃させる」と警告する有識者もいるようです。
    確かに「テスト結果偏重」の入試には様々な弊害があると考えられますが、その一方、「人物本位(偏 確かに「テスト結果偏重」の入試には様々な弊害があると考えられま
    すが、その一方、「人物本位(偏重)」となった場合、何によって「人物」を評価し、どんな基準によって大学への入学許可を与えるのか、大変難しく思われます。どんなや
    り方をしても、ある意味では「不公平」を避けられないとすれば、「人物」というファジーな尺度による入試が物議を醸すのは避けられないことでしょう。 物」というファジ
    ーな尺度による入試が物議を醸すのは避けられないことでしょう。
    教育現場である高校では、「学力」の涵養 教育現場である高校では、「学力」の涵養と「人物」の育成が教育の2つの柱であることを認識し、日々の教育活動を進めていま
    す。学校教育の諸活動が渾然一体となって「人間力」につながる総合的な指導となるわけですから、「人物本位」の入試に転換されたとしても、特に慌てることはありません
    。テストの成績を見ながら、「人物はいいけど・・・」とか「学力は高いが・・・」という、それぞれの生徒の成長のバランス欠如についての指摘と指導方法の検討は、「日
    常茶飯事」のこととして、すでに大いに議論され実践されているのです。 論され実践されているのです。 社会の価値の多様化により、ますます混迷を極める大学入試
    事情です。様々な入試形態が試された昨今、「一芸入試」なるものが生まれ、当初、このネーミングを聞いて、「それなら中国雑技団に入って、鍛えたらいいぞ」という冗談
    がささやかれたことさえあります。 て、鍛えたらいいぞ」という冗談がささやかれたことさえあります。
    今回も、「人物本位」という言葉が、大学入試改革において独り歩きしないことが望まれます。結局のところ、大学は学問と研究の場であり、それに相応しい学びの素地は絶
    対に不可欠なものです。「人物本位」という優先的な選考基準が前面に押し出されれば、それに対する「傾向と対策」が生まれるのは当然のことです。そしてそんな「ストラ
    テジー」ばかりが、学校教 向と対策」が生まれるのは当然のことです。そしてそんな「ストラテジー」ばかりが、学校教育の中で横行するようになることに不安な気持ちを抱
    くのは、有識者ばかりではないと思われます。

    “九高だより”は毎月本校ホームページに掲載されています。

  • 2013年11月30日未分類

    「本から学ぶ」

    今回は鈴木健二著「気配りのすすめ」を読んだ感想文を2点お届けします。

    山浦志織(1年)

     私はこの作品を読んで、作者の指摘している現代の人間の欠点が、いくつか私にあてはまっているなと思いました。例えば、“気配りのすすめ”の章の中で、電車内で座席を譲る話が出ていました。私も席をかわろうと思っていながら勇気が出せずにいたことがありました。結局私の気持ちは無駄になってしまいましたが、この作品を読んで勇気を出せない理由がわかりました。そして、私は本当のいたわりの気持ち、同情心、やさしさをもてるように努めようと思いました。“些細なヒント”の章から些細な事柄から自分が成就させたい目標につながるヒントを見出す方法を学びました。私は今まで細かいことは気にせずに放っていました。しかし、そこにきちんと目を向けることで、自分のためになるヒントを見つけることができるのです。これからは小さなことにも目を向けて、良い人間になれるように頑張りたいです。

    阿田一輝(3年)

     私は“気配りのすすめ”を読んで、名前がどれだけ素晴らしいものなのかを知ることが出来ました。代名詞で呼ばれる時、自分は冷たく扱われている、自分の気持ちを理解してくれていないなどと誰もが思うだろうけど、名前で呼んでくれると少しだけそのような気持ちがなくなり、自分も相手の心が知りたいと思う気持ちが芽生えて、人間関係が築かれていくのだと思いました。日本には交通標識のある道路は何気ない光景ですが、これが外国ではあり得ないそうです。目の不自由な人を助ける事は思いやりの技術を持っていないと出来ることではありません。ほとんどの国では、思いやりや人と人の接し方をすごく大事にされていて、今の自分や家族間の関係をもっと見つめてみるべきだと考えさせられました。社会で働くと同時に更なる人間関係を築いていきたいと思うようになりました。

  • 2013年11月28日ブログの噺

    「複雑な香り」

     体育の授業が終わった後、男子生徒が着替えた教室に入ると、「複雑な芳香」が漂っていることに気がつきました。

    「昔、自分達が高校生だった時には・・・」ふと、昔のことを思い出しました。「ただ汗臭い匂いが充満しているだけだったけどな」

     個人的な体験ですが、運動部員の多い「野生の王国」のような男子校に通っていたせいもあって、溜まり溜まったエネルギーを体育の授業で異常に発散させた後、汗の匂いに満たされた教室は、毒ガスの拡散を連想させるくらいで、「人間の嗅覚がこの程度で良かったなあ・・・」と、犬に生まれなかった僥倖をヤハウェやアラーの神に感謝したものでした。もっとも、サリンなどの神経ガスは無臭らしいのですが。

     冬場になれば、激しい運動の後、バッテリーが切れたように「仮死状態」に陥り、ほとんど冬眠に近い状態で熟睡する者もいて、教室の窓が排出された寝息による二酸化炭で白く曇り、「おーい、窓を少し開けないと、全員窒息死するぞ」という先生の言葉が、あながち冗談に聞こえないくらいでした。窓ガラスをよく見れば、呼気が液化して、付着した水滴がビーズを撒き散らしたようでした。・・・そんなキレイなものではありません。

     あれから25年、1歳の赤ちゃんが25歳になる時間が経過し(当たり前)、現在では、体操服の着替えが済んだ後の教室は、空気の中は、「匂い」ではなく「香り」というべき気体で満たされています。しかも、男子生徒のお着替えの後にもかかわらず、「芳香」が漂っているのです。

     「でもね、これはこれで妙な香りだなあ・・・」

     発汗の「匂い消し」として、様々なメーカーの様々な製品が用いられているせいか、「香りの多面体」という不思議な表現が頭に過ぎるくらい、甘いようなスパイシーなような、少々刺激的で何ともいえない複雑なフレバーが香っているのです。

     さて、本日から期末考査です。今日からしばらく体育の授業はありません。

     「教室に『爽やかな男の香り』が帰ってくるのは、1週間後か・・・」

     別に「男の香り」を心待ちにしているわけではないのですが、ふとこう思いました。「部屋に漂う空気の匂いは、世相を反映しているのかもしれないな・・・」

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